土曜日夕方

まずジムでダンベルとカーフレイズだけやって

混むと
わかっている
ラーメン屋に
開店前に
名前書いて
食うわけです

帰ったらペンギンハイウェイの続きだ

なんかねー


ハマモトさんが可愛い女子なんだから
いまのうちに
婚約でもすりゃー
いいのに

とか無駄に思うのであった

そういう映画じゃない

hiru

物干し場の蜘蛛の巣をはらって布団を干せる状態にした

 

足場としてのウッドデッキにかわるアルミサッシデッキがあるのだが

うまく巧妙に蜂がまた巣をつくっている

上からみるとわかるが

横からだと横木でサイドから死角になっているというこの場所

まさに巧妙

もうほっとくことにする(布団を干してからしまうときに

入念にはらえばいい)

蜂にさされて死ぬのもまた一興

 

あつい

 

布団カバーとまくらカバーをふくめ洗濯する

 

あつい

 

あついねえ

 

 

午前中

土曜日
ウィークエンドサンシャインは
ブラジル特集
小山さんがゲストできていて
ヴァイブスとてもよい
あとでまたきく

道の駅で
掟上今日子1巻目読了

書店にきて掟上2巻目と
友崎5巻目と
ヴィンランドサガ25巻を
かう
うう
友崎はたまちゃんの苦しみこの巻でおわりますように・・・

よる

午後はゆで太郎に行ってみたが

もつ次郎との併設店舗になったのかと思ったらちがって

ほぼもつ煮込みにのっとられた体裁で

ソバはあるけど

トッピングのあれこれは消えて

つまりいろいろトッピング選んで悩むという選択肢が

消え失せたのだ

 

まあいいけど

 

なんでもある

 

ともあれともあれなんですよ

 

またサウナいってこよう

 

暑い夜

 

 

ごご

帰宅

 

とくになにもかんがえず藤枝あたりでラーメンくうか

くらいの気持ちで出かけたが

道の駅(掛川)で

読書とかしてるうちになにか思いついたのか

 

草薙の

県立大学県立美術館県立図書館のところ(山

にいって図書館で美学関連の書籍かりてきた

 

こんなこともあろうかと

 

ではなく

 

前にカードつくっといたのが役にたつ

 

「分析美学基本論文集」西村清和編 勁草書房

「なぜフィクションか?」ジャン=マリー・シェフェール 慶応大学出版会

 

「独学大全」がレファレンスとその考え方を

さししめした

ところを読んで以降で図書館にいくのははじめてだが

そういう目で図書館をみるとさすがにこれは

たから

であるなあと思うのであった

なにしろね

 

まあでも今回は何を探したいかがはっきりしているので

 

あとは

「定本 樂歴代 ー宗慶・尼焼・光悦・道樂・一元を含む」

を立ち読みしてきた

15代吉左衛門などが記した初代長次郎からの

楽焼の写真集というか

 

それを見てなにかわかるわけではないが

ああそういうタイプの芸術なんだなとはちょっとは思ったね

わからんところにこだわって忘れないようにするのは

たぶん先にいってなんかどっかで引っかかる可能性がある

 

と思う

 

県立図書館であるが

なんかこう

コドモが夏の受験勉強

しているような居眠りしているような

もったいない

 

すずしいから浮浪的爺もちょっといたけど

 

まあ静岡県はそれなりに図書館が機能していてまずまずである

 

芝生で

縄跳びしてる人やフリスビーやってる人もいた

このクソ暑いのによくやる 

 

と思ったが日陰の草地は

そんなにあつくなかった

ちいさいアリさんがたくさんいるくらいで

そんなに不快ではない

 

帰ってきた

 

全体に4連休でもあり国1バイパスは断続的渋滞でつかれるのである運転

 クソあついし

 

あとはおおかみこどもを観るくらいだ

そうかね

芸術(表象芸術) は 何をあらわしているか

美術館にいったりして

いくようになったりして

思うところはいったいそれが芸術であるというときに

じゃあ何が芸術なのか

ということで

正直いいましてたとえば

琵琶湖のほとり佐川美術館で楽焼(らくやき)をみても

何が芸術であるか

まったくわからんのですよ

うつわであることはかろうじてわかるが

やきつけ

あらわれてるそのもの 物 が

美しいとはどうしても思えないし

何をもってそれらがつくられて

また一子相伝みたいに受け継がれているのか

さっぱりさっぱりわからないのである(つまり価値がまったく

かんじられない)

 

そう言うと「価値じゃない」という人もいるかもしれない 

 

また小説でオレにはさっぱりさっぱりわからない小説があって

読んでもさっぱりわからんのだが

それでもまだ小説であればそれをわかる人がどこかにいるんだろう

と思えるのである想像の中で

 

焼き物についてはそこの想像が追い付かない

 

さて 

 

たとえばフランシス・ベーコンの絵画が

 

「美しい」

かといわれるとオレはけっして素朴な意味で美しいとは

思えないんだけど

そのかわりベーコンの絵には

絵じゃなくてコラージュでもだけど

凄みがあって

戦慄を人に与えることができる

 

そういう意味では樂焼もなにかこう泥そのものみたいな

生命

以前のなにか

地球だよ

みたいなものを感じることはできるのかもしれない

 

フィクションについても

なにかこう考えるヒントみたいなことを求めて

廣瀬先生のフランケンシュタインを通して小説の技法を読み

いまは批評理論入門を読み中だが

 

ケンダル・ウォルトンという人を知り

彼はフィクションを扱う中での

キーワードをたくさん

うみだしたり

 

また絵画(美学)研究で

「正しさの基準 standard of correctness」という概念があることをしり

それは

概念としてはWollheimが定式化した問題だそうで

 

レジュメ|Enrico Terrone「正しさの基準と描写の存在論」 - obakeweb

 

こないだ豊田市美術館モンドリアンみてきたが

あれを

きれいだ

と思うことはできるが

実際にみてみると

絵画としては

そのちょっと前のところで

教会をひどく抽象的に描いたものとか

なんか具象からだんだんと抽象がはいってくるあたりが

すごく興味深いなあとおもって

 

ひどく乱暴なことをいえば

映画において

お話の構造がばらばらだ

という未来のミライみたいな作品も

いままでの映画の文法で見るからそう見えるだけ

なのかもしれないし

そうでもないのかもしれないし

 

なにかこう

 

もうちょっと言葉でオレが感じるものを

どっかとっつきやすくまとまった形で

書けないものかと

思っている

(だからこれはそのためのメモ

よる

結局今日は午後になってから昼飯(自炊)を

くったらそれが引き金になったのか腹痛があり

布団でやすみ

夕方になったのでジムにいき

それからサウナと水風呂

スーパー銭湯駐車場で「友崎くん」4巻をよみおわる

おおたまちゃんよ

神よたまちゃんを救いたまへ

 

帰宅して

あのちゃんねる(粗品 完結編

トゲアリ(略

芸人動画チューズデー

昨日の有吉の壁

未来のミライ(HULU)

などPCでみれるものみまくる

のであった

 

トゲアリ(略

も はじめのころのなにかこう攻撃的なところでみていてつらいところ

だいぶ少なくなってきているようにも思う

 

なんならいっそ福田さんかわいいなくらいに思える

こともある

 

芸人動画はやんちゃん(金川さん)を観たくてみているようなもんで

ランジャタイとAマッソがなかなか去らないなあ

いつかはと思っているんだが

操作してんのか

(失礼