銭金みる。
しょうじき、救いがあってよかった。真面目な話。
先に近況:ヲタ友が19日イベント券を入手したとの連絡あってほっとした。これで一人で並ばなくてすむ、よみうりで一人並ぶのはキツイんである、他の何よりキツイわ。真夏で熊本で野外でカンカンの中2時間くらい開場から開演まで待ったこともあったがそれよりはるかにきつい。荒々しい。アスファルトの上に長時間いたくない。
で。わしは36だがヲタ友はそれよりさらにすこし上である。銭金の山崎さんのほぼ同じである。彼をみて終わってると思うだろうか?当然思わない。
世間一般のことなどしらん。
救いというのはもちろん桃子と電話で話しー話してはいないか、まあ。でも生桃子が電話の向こうにいたんだぜ。なにしろプロだから「うれしいです」「ありがとうございます」って言ってくれるし。それはちょっと普通のヲタでは一生叶わないことだぜ。
さて。終わってるかって?終わってない。あれが終わってるというなら世間一般の人間全員が終わってるんである。彼を38にもなっておっさんがフリーターでタレント志望かよと笑うことは容易い。がしかし、所詮彼もわれも普通の人間であるし。われなぞはヲタとしても普通のヲタだ。だから紺サでオイオイ言うのは言うけれど振りコピのキレはあれほどない。
いや、なんだっけ、そうそう終わってるかどうか。終わってない。彼とて普通の人間であるし、結局今の日本は正社員じゃない率がどんどん上がって非正規雇用がどんどんひろがって、それは誰でも選ばなければなにがしかの仕事があるということなのである。仕事が基本かどうかなんて知ったことではない。実際のところの生きがいは仕事ではなくBerryzである。仕事を生きがいにしたい人は、そうすればいいんである。生きがいが何も無く、鬱々としているよりはるかに生き生きしている。健康である。体が動く。振りコピやってみればわかる。キツイ運動である。やったことない奴は黙っとれである。本当にやってみないとわからんのである。
そりゃ贅沢はできないかもしれないしああいう食生活してれば生活習慣病にもなるかもしれない。が、んなことは些細な問題である。
ここで私にとって彼を擁護したりすることが私自身を擁護したりかばったり救ったりいいわけしたりすることと同義であるのは事実そのとおりである。
大事なのは、彼が本当に楽しそうであるということだ。楽しい。「行けばわかるんですよ!!」と力説する彼の言葉にウソは一欠けらもない。知ってる。行けばわかるし、行くたびに改めてわかってる。再度も再度も選んでいる。Berryzを選びなおしている。楽しいんである。楽しさ、圧倒的な楽しさと喜びの前には細かいことなどどうでもいいんである。事務所が阿漕でも、ワッチ音源が悪口でも、ヲタ奴隷でもグッズ横流しでもそんなんどうでもいいんである。結局ライブで客席にいさえすれば圧倒的にメーター振り切るくらいの快が得られるんである。そのことを知っている。
だから山崎さんが「ゆくゆくは司会になってBerryzと共演する」などとは言わなかったところはさもありなんだと思うんである。タレント目指すのは別にいいじゃん、いつからでも。
中年のフリーターがいくらでもいて、アイドルに真剣になってる中年もいっぱいいると知っているから彼が特異なケースとは全然思えないんである。世の中を見る目が自分が世界の中心だという視点からしかはじめられないことの好例である。この文、絶対消さない。
つまるところ、いつ死んじゃうかしらないし、今が最大限楽しくないといやん。である。