http://ryubido.jp/x_sorasp.html
http://guideline.livedoor.biz/archives/51092352.html
さて。
魔法遣いに大切なこと 夏のソラ」をやっと見た1話。というかね。つづけてみれないんだ、一気にみるほどの面白さを受け取ることができなかった。花澤さんの声はスキなのだが・・・・・・
問題は誰もが(いわゆるアニメとかたくさん見るのが好きな人なら誰でもが)思うことだろうが、
背景だ。
その北海道の美しい風景はリアルであるが
リアルということばを使うのはやめにして、さて、なんだろ、思ったことはひとつ、重すぎる。
 われわれはアニメ特有の視覚のゆがみに慣れすぎている。写真は、特殊レンズを使ったりしないかぎりは、平板にその風景を映し出すだけだ、しかも近接写ではない「背景」を撮っているから画面中心と画面周辺部はほぼ同じ焦点距離になっているものと思われるので、ますます平板さが強調されてしまう。平らなものは、重い。
アニメ絵の背景は無駄に遠近法使って画面手前にあるものを強調したり、丸くゆがんだ遠くの風景をつくったりしてる、そういう味付けにすごく慣れた身からみてやはりどうにもこうにも不快感がのこるアニメになってしまったんじゃないかこの魔法遣いは。
 背景が重い。あまりにそこにじっとありすぎて、全然動く気配がない。もちろん、背景があって人物がいるのだが、人物は動くよな、背景は動かないよな、だから、動かない地に対して動く図(人間、キャラ)がいるという地と図の関係があるとおもうのだが、たとえば黒いところを丸く切り取ってそこが白くなれば、白い○がそこに登場する。黒いところが地で、○の白いところが図だというのは、考えるまでもなくわかる。しかし、このアニメの写真背景(言っちゃったけど)を見ていると、例えば美しい空があってそれをバックに美しい写真の木がある、木は青々とした葉を茂らせていて、そこにあることがわかる、ここでは空が地で木が図だ、だが問題はそのシーンの中にさらにアニメ絵である主人公ソラがいるということだ。写真の上にアニメ絵がいるから、写真という地に対してアニメ絵の図がいて、さらに同じ画面の中で写真と写真の地と図がある。方程式の種類の違うもの二種類を同時に解かなければいけない気分、頭を使う、われわれはこういうものを見る見方に全然慣れていない。したがって混乱し、わからないし、わからないとイラついて、批判したくなる。いわく「手ぬきしやがって」。
まあ異質な肌理が同じ画面上に同居するのは不快だと一言で言ってしまえばいいのかもしれないけど。
この話に、美味しんぼの「本格牛肉のパティに対して安いパンでは台無しだ!」とか思い出すのはお門違いというものだろうか。