ところで思い出したので書いておくがオレのじいさんばあさんは計4人いたが次々と死に、いまではばあさん1人しかいないのだが、いわゆる老人病院にくらしている。
ばあさんはオレの母の実母であることもあり母はだいたい週4-5日くらいのペースで見舞いに行っているのだが。正月に帰るとそれに同行することになるのだが。ここでそういうときのオレの母の振る舞いを記してみようと思うのだが。これがまたオレの感想を交えずに客観的に観察して描写するのがとてもむつかしいがなんとかしてみると。とにかく、喋りまくる。あと、喋りかける語り口が、赤ん坊に対するそれである。対話しようという語りではない。ただ喋りかけるだけである。ばあさんの反応は、大変鈍いというよりは、ほとんど反応しないといったほうが正確である。にもかかわらず、ひっきりなしにオレの母はばあさんに語りかけるのであった、いや、「にもかかわらず」ではなく、「ほとんど反応しない」からこそ余計にひっきりなしでノンストップでばあさんにむけて喋りかけることになっているのだろう。その語り口が赤ん坊に対する語りであるというのは、喋っている内容が相手に理解されているかどうかは全くもって期待できないのでとにかく弾丸を相手に向けてひたすら放るしかないという態度である。相手から相槌は帰ってこないので、語って休んで語って休んで語ってから相手の声を聞くために耳を傾けるというフェーズが存在せずひたすら語るだけである。壊れたテープレコーダーのごとくにその場その場で思いついたこと今日あったこと目の前にあるもののことなどを喋りつづける。こうしてみるとここに書いていることはばあさんではなくオレの母に対する批評というか観察というかオレが母に対してどのように思っているかを示すものになっている。
 ひとつはアホかこの人はということである。
 ひとつはこの人はそうする以外の方法が無いのだなあということである。
 ひとつは、それが役にたっているとかいないとかはどうでもいいということである。
 役にたっていなくてもどうでもいいというのは、ただあるだけでいいというタイプの物事のことである。前に書いたが世の中には労働とか納税とかできないで生きてる人がたくさんおりたとえばばあさんもその一人である。まわりの人が世話をしているので生きてる。生きてるだけで丸儲けである。がしかし丸儲けというのがまたこれが間違いで、多分プラマイがゼロに近いのだと思う。なにしろこの人はじいさんの世話をしつつ娘(3人)を育てたのであるから。あと仕事とかもしてた教師。だがしかし若いときから一貫してなにもしないというかなにも労働してないとしても納税ゼロ円だとしても結局同じである。
 いつものことだがわかっているようでオレとしては何を言いたいのかは結局わからずただ書き流すだけであった。