確率と可能性と

なんか権力と戦うのって、たいへんだよね。こんなオレのちいさいような会社でさえそう思うもの。さてそんなこととは関係なく、リンクを稼ぐのはそのコンテンツのクオリティであるよ。そうですね。
 きょうはだらだらと日常雑記しかかかないぜ。うひょひょひょひょ。
 
 と思ったが、やったことといえば仕事と、朝ヤンジャンを買ったこと(ノノノノの展開が本当にバカみたいで大好きだ)、夕方ローソンでアマゾン買い物受け取りしたくらいだ。アマで買ったのは、フォーレのチェロ・ソナタNAXOS)のCDと、LO最新号。いやー、うさくんの単行本の広告が裏表紙にばっちりで、なんか買いたくなってきたよ、洗脳されてるよなオレ。うさくんの単行本、って、はたしてこの存在が、エロマンガとか読まない一般の人にむけて、認知されていく可能性ってどのくらいかね?日本が北朝鮮のうったなんか日本をこえていくってゆう飛ぶものをミサイルで打ち落とすこと可能な確率とどっちが高い??オレはうさくんの方が確率高いと思うね、いや可能性か。可能性と確率って違うよな。可能性はゼロじゃないけど確率はゼロありうるよな。ぜったいムリってゆう。
 そうなのよ。つまり「死なないで、生きている」こと自体は、その流れていく時間の中で、一瞬一瞬について「死ぬ確率」「死ぬ可能性」がそれぞれ存在していて、この場合は「死ぬ可能性」が絶対ゼロにならない(なぜならば人間はいつか必ず死ぬものだから)のに対して、「死ぬ確率」はゼロもありうる、一瞬一瞬を区切るならば。なぜなら人間はホメオスタシス恒常性をもってある程度の持続した時間を生き続ける生き物だし、しかも全生き物のなかでは寿命がかなり長い方なのだ。
 と、考えてみたりしてたよ今日は。