真剣読書

日曜も日が傾いたころからしか調子が出てこない。
買ってきた
ヴィンランド・サガ」10巻を真剣に読む。
あと「ヴァイキングの歴史」を調べる。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/uchida%2805-1-30%29
 
真剣に読む理由は奴隷の話になっているからだ今。
奴隷と奴隷ではない奴は「同じ人間」だが、「違う人間」である。
 10巻。トルフィンの新たな誓いが中心になっている巻であるがオレが気になるのはその主人というか買い主の持っている女奴隷兼愛人である。
 この女奴隷は契約とか関係なくおそらくは主人が死ぬまでずっと解放されることも成りあがることもなく下女にして奴隷のままである。主人が死んだらどうなるか?さあ。その息子の愛人になるくらいのものだろう。下女であることは変わらず。しかし年月は流れる。
 もうすでにオレの妄想想像に入っている。
 思いだすものがいろいろあって、たとえばトム・ウルフ「成りあがり者(A Man in Full)」であり、また、こないだ見た映画「冬の小鳥」である。
 多分本筋とはあまり関係のない部分がすごく気になるというオレの性分である。
 トム・ウルフの小説、でてくる登場人物のうち一人の青年、下層階級、冷凍工場労働者、なんかつかまって刑務所でまちがってエピクテトスの哲学書を読むに至る青年、エピクテトスは奴隷から解放奴隷になったが青年は下層労働者から「何かを伝道する者」になった。
 それからついこないだ見た「冬の小鳥」では、もと孤児でいまは元孤児の若いお姉ちゃんが、結局下女扱いされる養子としてもらわれていった。そのあとどうなるのか。ずっと長い間下女のままだろう。
 
 しかし、おそらく、長い年月が過ぎると、下女であろうと奴隷だろうと、なにかを得て、智慧を積み重ね、「命令のみされる者」から「すべてを知る者」になっていくのだ、
 それはもう実質的に奴隷ではない。
 
 奴隷制度のコスト。奴隷をずっと奴隷のままで管理し続けるのは、すごくコストがかかる、奴隷を絶望させてずっと奴隷のままにしておくといえども人間の労働は絶望とともに長期間行えるようなものではないからだ。
 多分。
 よって奴隷は死んでしまうか、あるいは殺してしまうかのどちらかになってしまうのではないか。
 
 そうではなくて奴隷が解放奴隷となる道が公式にも非公式にも開いているのであれば、しぶとく生き残る者はやがて奴隷ではなくなる。おそらくは下女である養子としてもらわれていったお姉ちゃんもそのうちに長い年月とともにしぶといおばちゃんとしてその家を後ろから操る者になることも可能である。
 
 資本主義というのはたぶんそういう「下層奴隷からの成りあがり」の道を用意だけしておく点で恐ろしい。
 
 だがまあ、思い通りになることとならないことを考えておくのはいいことだ。それはエピクテトスが言ったことで、彼は思い通りにならないことについてはーーーーーえーと。  
 
 オックスフォードにいるという方が翻訳公開されていてすごくいいんだけど無断リンクしていいかしら。怒られたら消します。でもすごくいいことばなんですよ。
http://web.me.com/ohtayuuki/Meandering_at_Sentimental_Notions/Enchiridion_by_Epictetus.html
エピクテトス 『生きる手引き』 (The Enchiridion by Epictetus)