涼しい。
なんというか湿気があるのでしょうか。雲が切れ切れにあり、星をいくつか隠している。
昨日職場で激怒してキレていたのだが今日にはおちついた。
職場で激怒してキレるというのもなかなか珍しい。しょっちゅうそうだとただのへんな人であるがまあはじめてなので寛恕
してもらいたい。
さてYJ感想。グラビアは、まりこさま。きれいなお尻である。そのくらいか。
マンガ。
うーん。
申し訳ないが、本当に面白いかもしれないちょっとそう思うものが「ヘタコイ」しかないのである。
いや、今週のポリスは結構面白かった。黒澤さんは絶対に幸福になれないばかりか単なる話の弾み車であることが決定したし。うなぎは旨そうだし。
で。
ヘタコイ。まあ多分流香さんは死んではいない、だろう。
月に一回しか読めないのである。
死んでなくても、絶望的状況ということもありうる。告白してもしただけってのもありうる。
まあ。でも。青年誌のいいところは乳首を堂々とリアルに描いてもいいことであり、そのリアル乳首は正確でうつくしい。エロくなくても。正確でリアルであればあるほど、エロさが薄れていく。
リアル乳首。
でもその乳首がどうあろうとも流香さんがきれいなわかい娘であって恋がどうにかして実りそうなそんな予感が話を支配しつつあってもうそれ以外にこのストーリーの中でやることがなくなっていて。
行為も恋も終わっても。それでも人生はつづくのである。
大丈夫だろうか。
YJ、たぶんピンチだと思う。デリヘル漫画も鬱展開である。これは多分必要なことなんだろう(長期連載のためには)。でもこの展開を楽しめる人がどんくらいいるのだろう。多分とても少ない。
エロとストーリー展開の醍醐味とを両立させるような原作は難しいよなあ。
エロ。たとえばヘタコイで流香さんの乳首がどうどうと出てきていても、それがイコールでエロであるかは微妙である。ただ風呂に入ってるだけではエロではない。
エロというのは性的に好きとか性的に快感を倍増させたいとかのそう欲望が介在しないとまるでエロにならない。
厭なのに、嫌なのに、否なのにどうしても脱がざるを得ない事情があってそれは他のなにものとも変えがたい(交換不能)とかね。
脱ぐのがいやなのに自分から脱ぐシチュエーションとかね。
意思と、欲望の構造があからさまであればあるほどわかりやすいエロ味になる。
そういう意味で一般誌のエロとエロ漫画誌のエロは全然違う。
のではないか。
LOのほぼ定期購読読者として思うことはエロはエロが求められているところでこそより花開くということだ。
都合がいい?出来すぎ?
そんなことない。エロ漫画は全部、どうしたらよりエロいかを追求した結果としていまこうなっているのだ。そこにはそれぞれの誌面でエロ嗜好が分類されてそれぞれの切り立った山岳を形成している。
LOに出てくる低年齢少女たちは低年齢であることを共通項にしながらそれぞれが全然違う個性を発揮しているしそれぞれが魅力的な意思を持っている。
完全に意思のないエロ漫画ヒロインなどいない。
いろいろ書いたが何をいいたいのか分からない。