どんな土地にも昼があり夜がある。
 
 さっきまでゆるゆりを見てて。
 なんか最終回っぽいけど最終回じゃないってゆう。
 どうでもいいけど。
 でもゆるゆりを見ているとなにかふっきれたものを感じるんだ。
 所詮表舞台に出ることは無いものだってゆう。
 
 いやもちろん声優さんたちはみんな頑張っていて、ステキな作品になっているし、オレも好きで見てるし。でもこれはあくまで作品が注目されたという結果のことであって、足がかりであって、足場であって、梯子であって、足台である。踏まれるための。
 
 なんかね。
 
 たとえば最近オレが気になってしょうがない相沢舞さんがブログで村上夏実役(ネギま!の)についてあれほどまでに情を注いだコメントをしてるようなこと、そういう「わたしを成長させて世間の目にふれさせてくれたステキな作品」、が、メジャー少年誌に連載されてる大ヒット漫画「ネギま!」なのであるが、
 
 それと比較してはたしてゆるゆりをどのくらい作品として大切にしてくれる人がいるんだろう。
 
 あらゆる作品について、価値の多寡を言うことは無意味であるようにも思うが、それはそれとして、
 作品のそれぞれについて「価値が多大にあるもの」メジャー、
 どうでもいいもの、
 どうでもよくないが実質としてマイナーなもの
 
 があるんだと思うのよ。
 
 いやね。 
 いつも不思議に思うのは、その人の実力と、努力、そしてさらに「巡り合わせ」運命みたいなもの、が全部噛み合って、はじめてスター声優アイドル声優がうまれるんじゃないかなあ、と。
 
 人間は、他人の能力を、純粋客観的に測ることができるほどの認識力をもっていなくて、ノイズが多くて、たまたまのことを重要視してみたり、趣味のバイアスがかかってみたり、そのときに花粉症で鼻が詰まっていたのでたまたまあの子をオーディションで落としちゃった、みたいなことがあると思うのである、バカみたいな小さいことが、誰かの運命を大きく曲げてしまったみたいなこと。
 
 そんな偶然の上、積み重ねの上にみんなの生きてる道のりがあるんじゃないかなあ。
 
 それとゆるゆりが何の関係あるんじゃい。さあね。あっかりーーーん。
 キャッチフレーズ考えたもん勝ち。