べつに

今日の外山アナは、永さんが休みだったからではなく、休みのために自分がどうにかしなくてはといういつもとちがうすごい集中力(電グル)だったからこそアドレナリんが出ていただけのことである。鬼のいぬまに洗濯ではないのである。
 そもそも永さんは外山アナにとってはグルでありメンターであるはずなのである。多分。
 
 さて、問題は棚上げして、帰宅した。うれし。黒ビールのむ。
 
 いい語りを読んだ。
 「健康な老人と“かわいそう”な若者」
 デマこいてんじゃねえ!様より。
 
 idトラックバックするのがこわくなったのでしない。でも人気エントリなのでそのへんのはてぶで簡単に見つかるだろう。
 
 つまるところ日本は詰まっている。詰んでいると思う。
 自分つまりオレの状況がツンでいるのでついつい日本を語りたくなってしまうのである。
 日本が詰んでいることについては、じつは論が複数あり、野田は久しぶりのちゃんとした外交のできる首相になりつつあるというむきもあるのである。
 いやそうなのかな。
 これだけど。
 佐藤優の眼光紙背:第122回 (「BLOGOS」)
 http://news.livedoor.com/article/detail/6029235/
 
 しかし、もし、日本が、この詰んだ状況からすこしでも立ち直ることができるとか、あるいはすこしずつ進んでいけるというのであれば、その最低条件として、国民がマトモな政治意識や国家の基本方針についての意見をもつことが必要である。普通のことである。
 普通のことというのは選挙でなりたつ政治であれば選挙にいくくらいのことである。
 国家なくして国民なしである。
 
 若いやつが日本の詰んだ状況に絶望する必要はない。いずれ古いやつはみんな死ぬ。不定愁訴に病名つけるのはやめて、あなたは病気ではなく正常な老いであるといってもうくるなと病院から帰してしまうのが本当の正解である。金が欲しいので病院はそれをしない。
 だとすれば病院に金銭の概念をもちこませない方法をつくるしかない。
 
 いや話がとんだ。とにかく政治に文句があれば言う、自分の意見をいう、日本という国のグランドデザインに意見があるなら言う。
 原発がいらないとか原発が日本では安全不可能だとか思うのであればそれを普通に言う。
 いくら経済が原発関連補助金で成り立っていようとどうだろうと。
 
 若いやつだって死ぬまでは生きていたいしオレだって死ぬまでは生きていたいのだ。
 
 いまの国民が自分で考えてくにのありかたについてどれだけ像を描けるのか。オレだって勉強して描いていきたいと思う。
 たとえば消費税がどのくらいで、どのくらいの社会保障で、どのくらいの軍事費(自衛隊予算は実質軍事費であるので軍事費)があるべき、とか。
 医療のありかたはどのようであるともうちょっとマシなものになるのか、とか。
 問題を放置するのは最悪である。
 みたいな。
 
 さいわい、原発というイシューがあり、喫緊の課題として日本は今後の原発をどうしていくのかという問題がある。
 段階的に廃止廃炉していくしかないと思われる。
 これをどうやって現実の日本政治の決定にもっていかせるか。
 最後は政治が決めるのだと思うからだ。
 その決定は国民の生命に直接関係しているからこそ、政治について考えることをやめるわけにはいかない。
 
 そして同時にオレの生命についてもオレが考えないといかんのだ。うわあ。ましろ色みようっと。