よる3

未来日記17・ニコ動配信にて。
 コメ、多いなあ。
 正直このアニメは(原作しらないけど)破綻している、はじめから1と2が最後のクライマックスまで勝ち残ることは根拠なき予想でがっちり。だからそこまでのすべての敵は死んでいく(消えていく)ことがわかっている、しかしその負け方が問題だ。
 ユノはどんどんクレイジーさをましていき、敵が賞賛され、みねねさまはしぶとくあちこちではびこっている。
 
 みねねさまといえば同じ声優さんのちゃんみお。今日もNHK教育で日常を見た。残念ながらみおちゃんはあまり活躍しなかったが、あらためて楽しい。バカのゆっこが東雲研究所にのりこむの巻。そして帰りに、阪本さんから声をかけられる。ふりむくと、もう阪本さんは、いない。あれはまぼろしだったのか。そうではない。リリカル。
 
 パパ聞き!(ネットラジオ)の10を聞く。この声。ロシア語学科。上坂すみれさん。
 こういう人がときどきあらわれるので面白い。碧ちゃんの次くらいに面白い。
 
 しかし問題は。パパ聞き(アニメ)が、そもそも、原作はともかく、なにかバランスのとり方が難しく困難なところに入っていることだと思う。
 小説でマンガでアニメ。YJでの連載は、はっきりいっておかしい。場違いだ。あと絵がヘタすぎる、はっきりいって大失敗。はやくやめたほうがいい。
 アニメ。アニメはどうなのかなー色モノとしてみたらいいと思う。でもまじめに見るとバカをみる。
 小説。小説は、どんな「ありえない」ことも可能にしてしまう力があるし、この作家さんはおそらくはそのあたりを可能にすることができてると思う。
 
 つまり安易なメディアミックスはすべきではないという結論である。
 
 もうすこし枝をつけて葉を茂らせて説得力をもたせるべきだが、できん。
 それよりも、「小説のもつ特性」について考えるべきだ。小説は文字の積み重ねによって、ありえない世界を眼前に実現させることについては他のすべてのメディアの追従を許さない。
 どんなこともSFの超巨大スケールも小説であれば可能になる。
 
 そういう意味ではマクロスのようなわけわけらん「ありえないスケールの巨大なもの」をアニメのような絵でみせるもので実現させた人はすごく偉いと思う。アニメはそもそもがそういう見たことない感じを具象であらわす難事業であるし。
 
 ついでにアニメの恐ろしい感じというのは、日常をみていると思うのだが、マンガの日常とアニメの日常を比べると、オレはアニメのほうが面白いのである。なんでか。演出。
 音楽がつくる空気感、声優さんの声、そして絵と動き(スピード)、色。
 マンガはめったにフルカラーにならないけどアニメは常にフルカラー。 
 あとヒャダインのつくる主題歌の色ってのもある。
 アニメの日常には「幸福」が混ざっている、マンガには幸福が足りなすぎると今では思う。
 アニメの日常に幸福をもたらしたのは、女性声優さんたちのつくる感情があらわれた声たちとあまりにも表情が濃すぎるBGM音楽たちである。
 
 さっきまで天たまを聴いてて思う、声はラジオで最高にその効果を高める、テレビなんかよりラジオのほうが100倍その声から人間を映し出してくれる。脳内に。
 
 制約あるメディアこそが天然色無限の彩り。テレビは所詮可視光線しか映し出せないのだ。
 
 しかしテレビでアニメをすると絵と音楽がミックスパワー。
 
 べつに結論は無し。上坂さんのためだけにパパ聞きのアニメみるよ。