あさ2

日経から
「育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈」
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120229/229264/

ちょっと前の記事ですけど。
 要は、産休や育休をたくさんとるのはいいが、たとえば小規模の職場で、4人でやってたことを3人でやらなくてはいけなくなった(休んだ人がいるから)、そのときに、休んだ人は休んでいてもそれなりの給与が出るというサービスを授与されていて、休んでない人は、仕事が増えても同じ給与なのである。
 これが会社の仕組みである。
 
 仕事量ではなく、全体からみての枠組みで給与が決まる。
 
 割に合わない。
 
 そう思うのならやめればいいんだけど。割に合うところがどこかにあるだろう、それをオレができるかどうかは別として。
 
 なんちゅーか本当に女性も仕事して当然とか当然じゃないとかいろいろあるがもっと昔のことを考えてみたらよかったと思うし昔と今で何が違うのかを考えてみたらええと思う、誰も気楽に楽して生きてる人なんていなかったはずだ、生き延びるために。
 
 江戸でも中世でも明治でも。
 日本でも世界でも。
 
 わからん。もっと仕組みは単純でいいんじゃないのか。
 
 たしかに消費税を上げたところで企業による社会保障負担を上げないと、日本がちゃんとした福祉国家になることはできないだろう。しかし、一体、そもそもどうして企業が社会保障負担をしなくてはいけないのかそのロジックはどこから来たのか。企業は親なのか。親分なのか。
 
 はたらいた、一日働いたらその分のお金は発生するけど、、でも年金とか、休業補償とか、あと退職金とか、失業保険とか、そういう(日給以外)のが全部存在しない社会というものを想定したらいかんのか。
 それはリスクフルな社会かもしれないが、さりとて、独立農業者や独立漁業者は、そもそもが昔(中世くらいを考えてみたい)にはそのように暮らしていたと思うのだ・・・いや荘園所属だったら年貢みたいの払ってたか・・その対価としてなにを保護をうけとっていたのかどうか・・
 
 とか朝から考えてみたがまだ断片。