NHK、Eテレでの「日常」見終わった。今週は飲酒睡眠の誘惑に打ち勝ってオンエアで見ることができた。じっさい、もう全部みているので、録画でみる価値はなく、オンエアでみるからいいというこれ価値の希少性、その時間その場所で。
ゆっこはバカだから(犬にかまれても)大丈夫。
いまネットで「パラオに泊って」の写真とか見てた。食い物うまそう、海きれい、くらげが素敵。
いろいろ見ているが、結局、なんだろう、他人からの承認が得られなくても生きていけるし実際生きているということはただ生きているということだ、石がそのへんに転がっているようなものだ。
べつになにかが生まれなくてもそれはそれだ。
今日はとくになにもなかったが、こないだのホワイトデーにお返しあげたかわいいナースちゃんが「うまかった」と言ってたのでよかった。半分は娘が食ったと言っていた。それでええわい。
皆なにかを求めて叶えられず、惜しんで死んでいくのである。誰もが。
それにしてもだ。オレは毎日老人老人だらけのやつらを相手に仕事しているわけだが、それはナースちゃんも同じなのだが、
はたして、そんなことでいいのか。
人間はいろいろな多様性があり多様な年齢層があるというのに。
かように老人ばっかりの地域があるのである日本には。特殊であるが普遍でもある。若い奴なんて都会にしかいないのだ。
老人だけが保険医療福祉サービスを必要としている。
いやちがう、
障害者というのも含まれる。
障害者は老年もいれば若年もいる。
しかし全体からみれば数が少数だ。
聾でも音楽を感じることはできる(骨伝導)し、盲でも映像のうねりを見ることはできる(音響の反響で前とか後ろとか空間認知像を脳内でつくることができる)。
伝統ある観光地の老舗ホテルに泊まって食って呑んで寝る経験というのもある。
リッツ。