いかにして、思ってることを、記号化して他人にもわかる様式にするか。
本日の信濃毎日新聞は吉本隆明を追悼しておりそこで語られる三浦雅士の文はまさに「言語がすべて」だった。
まあそうですね。
オレは当直明けの本日も通常営業していた。夕方まで全部働いてから帰った。べつにたいして過重ではない。いまは。
もしそれが過重ならば可能な範囲で職場の他の職員に、オレの分を持って重さを耐えてくれまいかと依頼するだけである。
時間労働ではなく「成果」あるいは「日日にわけられた埋められるべき隙間」を埋める仕事であるのでそこは埋めていかないといけないのである。
無理ならほっておくだけのことだ。
田舎においては都合でほっておかれたものが増殖してのちのちにおそろしい結果を生みだす(怪物たるものの誕生)
んだろう。