よる4

ゆび祭り。指原さんのまつりであるがそこにBuono!が参加すると発表されておおさわぎ。オレもいきたいけど、優先というかさきに指原さんのCDを買ってないといかんのよね、本来。
 まあ。
 
 帰宅した。
 明日は胃カメラなので朝食ぬきである。
 水は飲んでいい。
 
 まあつまりは自尊心の問題なのだ(はじめに書いた)。
 そんな小さいものはどうでもいい。と言うべきだ、とエピクテトスは言った。
 
 えっとオレが間違っているかもしれないが、オレの思いどおりにならないものというのは「他人のもの」であって、それは、気にしたり怒ったり思い悩んだりしてもどうにもならないゆえに、気にすること怒ること思い悩むことが全て無駄であり無為であるということである。
 そんなことに心を動かされるのはいますぐやめろということである。
 
 悲惨な運命があったとてそれはあくまでそこにあるそれであり、本人のものではないならば、とくに関係ないものである。
 
 そのように考えることは大変にむつかしい。なぜならばオレは「承認や、暖かい思いやり、心遣い、気持ちを寄せること」を求めているからである(きもちいいから)。
 きもちいいことを味わいたい。快楽。
 
 快楽は追い求めてときに得られるものであるそうな。金だったり、それ以外の、誠意だったり、他のなにかだったり。
 
 幸福は結果であり追い求めるものではないならば、快楽くらいは追い求めてみたいものだが、しかしそれは虚しいものでもあろうて。
 というか追い求めてはいかんのではないか。
 なんでかわからんがオレのカンがそのように言っている。求めてがつがつしている人は外からみて醜く浅ましいものであるような気がする。ああはなりたくないような。