よる

NHK。
 クロ現。米国、次の大統領選挙、民主の「公平」か、共和の「自由」か。本当はそんなに単純ではないのだが、それでも、選択が可能であるのは羨ましい。理念についての選択。日本国には「理念についての選択」がない。理由は、政治家(政党)で理念を明らかにするところがないからである。いや、あることはある。社会党共産党くらいか。どちらも理念が明確である、そして絶対に政権に参加しないだろうの弱小である。いかにも現実的でない。
 
 ハートネットTV。統合失調症の親をもつ子どもの苦悩について。
 ついこないだみた雑誌で「遺族外来」というのがあった。喪失を、ケアする医療(精神腫瘍科)である。精神腫瘍>?
 はあ、わかった。癌にまつわる心の問題の話である。へえ、そんな科があるんだねえ。
 ともあれこのハートネットTVは統合失調症である。 
 子供は苦悩しているのに誰もさぽーとしなかった、という話。
 
 あらゆる苦悩についてのケアがどこでも不足している。
 
 経済でも、恋愛でも、介護でも、健康でも、怪我でも、不細工でも。
 
 昨日の「公正世界信念」みたいのがまたここにもあって「親が統合失調症なのは自分(子供)のせいなんじゃないか」みたいなのが植え付けられたりまわりの悪大人によって吹き込まれたりしているのである。
 あほかである。
 
 しかし統合失調という脳の変調はオレにはまだまだわからない。オレがみたことあるのはもうかなり中年から老年にさしかかったいわゆる「ある程度の安定期」の人だけなので、もっとも激しいころのことは知らない。
 
 いつも思うのはどういうあたりにボーダーがあるのかということだ。精神疾患や性格の異常や感情の問題をかかえる大人は多数いて、迷惑である場合もあり、どれを病気にしてどれを本人の問題としてとらえるのか、本人の問題としてとらえることができるのは「本人がそうならないようにできるのに、そうしなかった」という場合だけなのではないか。
 で、それが「できるのにしなかった」と、他人から、決めつけることが、いったいできるのか、ということである、不可能にみえてしまうよ。他人のことをわかるのか、状態がわかるのか、な。
 医者が精神科においてこの人は精神的な疾病をかかえていると決めつける(診断)のためには大抵基準があってこの様子のうちの何個を満たしたらこの疾病であるといえる、って、ね。
 
 そういう意味ではオレは十分に欠陥をかかえた疾病持ちだと思うが自分で主張したとて補助金も障害者年金もどこからもなにもこないのである。
 
 わからん。