なんか懸念のひとつは「オレのしていることは(仕事)本格的に無意味かつどうでもいいことかもしれない」ってのが真実味をましてきたことである。
つまり「そんなことはしなくてもいい」みたいな考え方である。
この世には「真実のひとつ」が無く、誰もがそれぞれにとっての「真実」をかかえているので、オレはオレでその「真実」を信じていけばいいのだが、
はたして見つけられるだろうか。
どうにも。
オレはどうも懐疑的にすぎるのだ。医療無意味説である。すべての。
かつての人間社会には医療を専門とする職種は存在せず、祈りのテクノロジストや、薬草の専門家が存在した。あと、アロマとか、感応するユタとか、まあ、そんなかんじか。
そのほうが「現代の西洋科学医療」よりもよほどマシな気がするのである。
いちばんいけないのは。医者にむかって「先生、なおりますか、なおしてください」などと平気で言う人間の存在である。阿呆にもほどがあって、そんなこといってるからなおらないのである。オレがなおす、あんたはそのヘルプをしろ。
なおすのは自身でなくてはいけないし、誰もその場で主体たりえないのである、本人以外は。
そんなあたりまえのことが失われてしまったのである。
他人の助けをもって。
そんな、「他人によりそう」なんて職についているものだからどうにも。これは矛盾のきわまり。本人がどうでもいいと思ってたら何もできないに決まっている。
しかし本人以外に家族とかもいるのである。
やれやれさめざめ。