ゆうがた

YJ感想
たたかうものたち。美容師の卵、古代中国の将軍、アマチュアカーレーサー、将棋さし、童貞、アイスホッケー選手、カレー屋。
 そして人形(自爆する)たちを助けたい少年。魔女たちと言ってもいいが。
 とにかく助けたい。戦っている。というか、生き延びている(どうすれば最終的に勝てるのかまったくわからない)。
 そこにおっぱいがからんでくる。
 いいことだ。
 
 かわいいナースちゃんと仕事の話を立ち話けっこうじっくりする機会があってすごく幸せだ。顔をじっくり見れたし。この文章はキモいが、当時に、オレの真実でもあるので、ここからわかることは「オレ=キモい」という真実だ。
 そして同時に幸せでもある。
 「オレ=キモい=幸せ」。これを現状肯定という。
 顔が見られるだけで幸せになれるとはなんといういいことだ。コスト安。そういうなよ。あんまりゆっくり(他人の邪魔なしで)見られる機会なんてないんだぞ。稀少性。
 
 他人からどう思われているかわからない場合には、おおむね「好かれている」可能性は薄い。
 わかるというのは「ちょっとは好かれている」場合か、「かなり無関心」なことだけだ。
 好かれているかどうかわからない場合はわからないだけでもう無関心であろうと推測される。
 
 そのあたりをいま考えている。どのようにふるまうか、それを決める要素、他人からの「評価」の話である。他人の評価を気にしないで行動できる人をかっこよく見てしまうことがあるが、果たして本当に気にしていないのか、さてどうだろうね。結局社会のうちにあるということはその社会の中の評価基準があるはずだ。