ゆうがた

 自宅にいます。
 本日:朝、ホテルでおきる。アキバである。さっそくテレビをみる。オリンピック。
 腹へったので階下に出てマクドナルドにいく。あそこのマックは6:30開店なのね。覚えとく。チキンのマフィンと珈琲。そして昨日フロントで入手してあるカモミールティー。
 テレビで競歩をみる。なんとおそろしく抑制の強い競技だ。大変だ。
 横浜美術館奈良美智展を見にいく。かなり混んでいる。
 女子が多い。
 まあ、わかる。
 今回感じたことは具象への距離が縮まっているということだ。涙をながす肖像の、巨大な女子または女性、その像の眼は具象にちかい、かなり。
 目以外の部分、輪郭や髪や肌やあご・はな・みみ・全体のトーンなどは抽象なのかもしれないが。というか記号的。というか漫画イラスト的。
 あれが美術なのかという意見・
 まあなんでもアートではあるけど、作家のその作品は年月を経てどんどん変化していると思う。
 「Oh my god I miss you」という作品があって。眼にその文字が浮かぶのである。白目の部分に。
 ありえないことではあるが。
 
 紙(キャンバス)に、文字としてのメッセージが、あるいはただの殴り書きが、書かれていてそれは英語ドイツ語日本語いろいろ。
 
 しかしすべてのそのような殴って書いたような文字は意味がかなり希薄でそのかわりにイラストの感覚を上げているような気がする。意味性が文字からイラストに運搬されている。
 だからその漫画のようなイラストの女性または女子または幼女が描かれているその表情に、余計な感情を、見る者(見物者)が勝手に付与してしまうのだ。
 
 現代日本の大学生くらいから若いOLくらいのもつ精神のうちの「たのしみたいしがんばってるけどちょっとつかれてるかも、おまけにこの世界はちょっといまどうしようもないみたいだし」みたいなものを勝手に感じてしまう断片のイラスト群である。
 
 まえより描かれている女性の平均年齢は上がっているような気がしている。
 
 しらんが。
 
 絵の感想はむつかしい。
 
 新幹線の時間があったのでオアゾ丸善松丸4Fにいく。こういう陳列がもうなくなってしまうのね。
それはもったいないなあ。
 ロルフィングと能についての書いたノウハウ健康運動体操本にひかれた。