あさ

沈黙の春」から50年。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012102102000148.html
東京新聞社説。
 
いっぽうで「その未来はどうなの?」橋本治、を、ゆっくり読んでいる。
 
さいきんなんだかいろんなところで感じさせられる感じるのは「このいまの社会はぜんぜん定まっておらず、当たり前に見えるものはだいたい全部100年とたっていない事象であり、今後も変わり続けると思っていたほうがいい」ということだ。
 
たとえばいまオレはHDDレコーダーにとりためたものをディスクにうつす作業の「あまりにもくだらん遅さ」を体感したりしている。
これがPCの中にある動画記録であれば簡単なのに。
 何がネックかというとCPRMだろう。どう考えても。
 
 しかし、カセットテープ資産もレコード資産もCD資産でさえもはや滅びようとしており、いまやソリッドオーディオである、
 動画だってビデオテープはほろびて、DVDブルーレイだって滅びるだろ、ぜったい。
 
 そういうわけで「常識」のようなもの、も、ほろびていく。
 
 世界は「覇権国」の時代ではなくなり、みんなでみんながなにかを縛って縛り合いのような感じである。
 
 地球からみても、なんだか人類ってのが急に数が増えて、地上の環境状態に対しての負荷をかけているねえと思うかもしれない。地球が。人類に対して。
 あるいは蚊にさされたほども感じていないかもしれない。
 それでもオレのこどものころは北極は氷だったがいまは違う。
 
 世界戦争というのを二回やってそのあと冷戦になっていたがいまは冷静というよりも混乱である。
 
 あいかわらず原爆から原子力利用発電所の爆発からなにやらいろいろある。
 できることはいまのうちにしておこうと思うのもやぶさかではない。