ゆうがた2

というわけで3連休であるが今日もあるいたり走ったりしてきた。どうやって、腸脛靭帯炎をださないで、ゆるい走りをつづけるか、これがオレの課題である。
 むつかしい。フォームの問題だし、このフォームは勝手にオレが体がやりやすいようにやっていたらこうなっていたというものなのである。
 
 でもまあ今日はちょっとよかった。それなりに継続できた。
 
 つくづく思うがこのあたりの景色はすこぶる良いものだ。
 この時期になると、西側に雪をいだいた険しい山々がみえる。山稜である。
 それはたぶん日本アルプスである。
 そして東信州のこのあたりは田から水が抜かれ、まるまった稲藁がごろごろし、紅葉は色鮮やかで、山(浅間につらなる山々)はてっぺんが白くお化粧して、枯葉も赤く黄色く、また南天のような赤い実をつける樹もあり、秋咲きのような梅もあり、
 まことに土曜ワイドラジオTOKYOをききながら歩いたり走ったりするには最適である。
 
 昨日は走りながら苛苛して聴取を切ってしまったが、今日は録音のものを聞きながら走った。松島トモ子氏が森光子さんのことを語る。あの人は「おだやかな日本のおかあさん」なんかじゃない、と証言してくれる。ぎらぎらした、客演でいった劇団の座長を(台本を全部記憶して稽古初日に台本も持たずに芝居することで)やりこめてやっつけちゃうようなエネルギッシュな人であった、と。
 つまり上に行くことに関してなんの躊躇もしない人である。
 そういう人でなければ、歴史に名を残すなんてことはできない。
 
 オレはやっぱりそういうラジオをききつつ東信のそのへんを歩いたり走ったりするのが趣味として好きだ。北国街道は本当はどのように流れていたのかとかね。
 
 それだけが惜しい。
 
 でも多分浜松市北区浜北区か、そのへんに住んだとしたら、たぶん太平洋から信州(諏訪)へとつらなる秋葉街道とか調べるだろう。好きだから。そういうの調べるのが。
 
 http://www.tohyamago.com/rekisi/akiba_tousin/index.php
 
とかね。
 
 いまでこそ、国道の酷道としてしられる152であるが(152は全通できない国道である)
つまりこれが塩とかいろいろ運んでいた街道なのである。
 
 そんな感じで昔の道を歩いたり走ったりするのは楽しい。このあたり、小諸市東御市での北国街道が実際にどのようなルートをとっていたのか。
 そのあたりを歩いたりしていると古い蔵とか土蔵とかみまくりである。
 
 農業の風景をみたりしていると、昔昔に思いをよせても不思議ではない。
 
 そういう趣味である。
 
 江戸という時代も当時のグローバル展開とは無縁ではないと知ってから、時間的に離れたところもすごく近いのかもしれないという感覚を感じている。
 日々平安録さんのおかげである。