よる

いろいろあるがともあれ。
いきてりゃいいこともあるさということで今日はばばあから聞き取り調査。
話を聞き出すのは難しいようで簡単でもある。
オレが興味あるのは昔の「移動手段」なのであるが、なかなか、昔の人は移動をしていないようだ。覚えてないだけなのか。
 
ところで「ものの値段が」に出てきた、「ものの値段が上がること」に実感がないというか記憶がない人のことである。
まあ、そうだろう。オレはちょっとあるね。タバコは220円だったし。ゲーセンは50円だった。銭湯は。。。380円だったかなあ・・・・
 でもたしかに給料が上がらない(年功でさえ、上がらない、昇給しない、ボーナスは縮小する一方)世界では、ものの値段も上がらないのだろう。
 
 その中でできることをするしかないのである。
 
 まあたしかに、その職についたことでまったく実感できるという事実がある、それはどの職であってもそれぞれに存在するだろう。コンビニ店長であれば地域経済と日本経済と若者のことと老人のことと女のこと。
 オレは医療機関というものに勤めてみてはじめて老人のことと集団が制度からなる金の流れに依存している(制度ではなく売上で勝負するのがコンビニであるとすれば医療機関医療保険に完全に依存していて厚労省の犬であるといってもいい)ことが分かった。ような気がする。
 あとは医療って実際なにやってんののことである。医療不信。というかオレが医者だったらどうするのの話である。
 想像力。
 
 まあ、アレだ。医者であるとして、脳出血後の患者の家族で無心に回復を信じているやつの前で、この患者はこうこうこうなのでもう一生死ぬまで立つことも歩くこともはっきりした意識を回復することもないね、99%確実だ!!!とはなかなか言えないだろうね。オブラートにくるむとか。言わないとか。
 でも事実を言わないことが職業上での「倫理違反」にもあたると思うのだけれど。
 
 なんにせよ今年はとくに医療の限界と制度の限界について考えた。
 みなもうちょっと諦めたほうがいいと思うしオレは積極的に諦めていきたい。