あさ

メモ アメリカにも中国にも敗戦しているのこと、土地(人)の呪縛
 
さておはようございます。
年末です。年末だいすき。こういうときがないと「振り返る」もしないのである。 
 
「小さな旅」
相馬の漁師さんがノートをずっとつけている、いつ、どの漁場で、どのくらい魚がとれたか。彼は「息子のためにつけてきた」と語る。NHK。
 息子は消防士だったが、3・11の後に、消防をやめて父の船にのるようになった。「若い世代がやらなければ相馬での漁業は消えてしまう」
 という。
 
 立派であるが、しかしいつ相馬沖でとれた魚が出荷できて漁業が成り立つようになるのかわからない。
 土地そしてその場の海はそこにあって動けない。人がそこに拠って生きるというなら人もそこから動けない。
 それが農業であり漁業であると思う。第一次産業
 
年末であり、NBOも一年のエントリを振り返っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120313/229785/?P=1
 “都落ち”をためらうオッサンと“地元志向”の若者の意外な共通点
「宮崎観光の父」が教えてくれた仕事の本当の尊さ  (河合薫
 
まああれだ、都会も田舎も同じ日本である、と思えるくらいの状態がつづくといいね。ヘタをすると「都会と田舎は同じ日本ではない」という分断がうまれ、1%の富裕層と99%の貧民は同じ国民ではない、ということになってしまう。認識が。認識が世界をつくる。
 
日曜の朝は、なんか関口宏が出てきて時局をみんな(えらそうな人)で語るみたいなのがあるわけだが、めずらしくそれを見ていると、彼らは皆、自分が食うには問題がなく、国土についてはべつに未来の子供のことを考えているようにはあまりみえない。イメージ。
 
もちろんオレの偏見である。
 
考えかたがいくつもあるのは分かるし、正解が一つではないものわかる。他人のことを考え、自分のことだけではなく、なんとか皆がなんとかやっていく方法を考える。
 考え方によっては、原子力をあきらめずにエネルギーとして利用しつづけて、なんとか、たまには事故事件も起きるけど、それで人も死ぬけど、それでも人の死のコストを度外視すれば経済的には。
 しかしそれでも放射能が土地を毀損するのは明らかであり、除染という手段が実際に放射能除去には有効でないことはあきらか。
 東京電力福島第一原子力発電所地震津波により安全に放射性物質をコントロールできなくなった時点で、ごく早期から、この発電所の周囲の土地は見捨てるしかない、なぜなら人間によってその過誤を打ち消して安全に住める土地とする方法は無いからだ、と意見を言った人はいた、オレもそう思った。
 
 現実に事故事件から1年と9カ月以上たっているがあの土地は人間の住める土地ではない。チェルノブイリでは1986の事故発生からいまどうなっているかを見てもわかることだ。
 
 しかし一国の政策が、他国によって影響されているとしたら、考え方は歪みを受ける。
原子力は安全で使用可能で利用すべきでクリーンである」として、今後もつかわれないといけないと考える国がある。そしてもしやめるのであれば、世界で一斉にやめないと、もし一斉でなければ、やめるのをやめた(抜け駆け)国だけが利を得て、やめた国が損をする、という理屈。(NRAから思いついた)
 原子力発電についての他国への売り込み。
 
 話が大きくなってきたので戻す。結局国土が毀損されて土地が呪われることを「その土地のことだから」といってどうとも思わない人がいるわけです。彼からしてみるとアメリカと仲良くすることが最大のポイントでそれによってしか日本は生きていけないのだから日本はちょっとくらい土地が呪われてもそのくらいは大事の前の小事だと言っている。いわんとしている。おまえらにはオレの苦労はわからないんだよと思っている。経済をまわすのが仕事だと思っている。まわってないけど。
 
 しかし土地が呪われるのはまったく小事ではなく、これこそが大事である。
 
 人間は簡単にその住む土地を変えたりしないし、それは第一次産業でなくても同じである。簡単に言えば心性の問題である、心情、感情の問題。
 空気の温度と湿度、風、見える山や川、太陽の向きと強さと、空の色と海の色と。皮膚と粘膜と目と耳とで感じた土地に属する部分は人間をそこに属するものとして規定する。というかそれがないとやっていけないのである。遊牧民という民がいるがあれは似たようなところを大きくぐるぐるまわっているのである。完全にいつも違うところにいる人はいない。狩猟民というのだってベースがある。土地の問題である。
 
 たまたまそこに生まれたとか、たまたまどこかの土地を選んだ、というのであったとしてもそこの影響をうけてつなぎとめられてしまうのだ。逃げ切ることなどできない。