あさ

 
週刊アスキーかってきた表紙はみやざわさえちゃん。上海。
 かわいいが、安定形すぎて、華々しい魅力はどうか。そういう顔なんだろうなあ。
 
 昨日は連休最終日ということで結果的に猫物語(黒)を最後までちゃんと見るということでくれた、明け方に。
 
 (黒)感想。あまりにも悲しいのだが、だからといって、別に、誰かが死んでしまったわけではない。委員長は委員長で、そう、自分を守ろうとしたのだ。正義と公正であったとしても、その中で自分を守ることは初源の原則だ。自己保存。
 ビジュアルが動く、下着姿の委員長ちゃんがなめらかに猫ポーズのさまざまな型をキメる。
 
 ビジュアルが物語のかなしさを裏側から補完する。これはあまりにもかなしい文章でつづられた物語を、せめてビジュアルにおいて、萌え、エロ、裸体、紅の鮮血、夜の闇を裂く光、妹たちの愛情にみちた肢体などで補完したものなのだ。
 そうでなければみていられない。
 もし委員長のビジュアルが美しくも凄惨でもない、ただの醜い肉体と崩れた容姿であったとして、なんの同情が寄せられようか。
 若い高校生の女子が女子高生というアイコンになってそこにあるから、若い高校生の男性がその稚気も全開にしてそこにあって奔走するから、まだ耐えられる。今回感じたのはメメがいかにも加齢のおっさんであるなあという印象。 
 だがこれはたぶんヒントみたいなもんで、実際におおくのミステリやその他のものの創作物で内容的には凄惨極まりない事態であるとして、それがいったい老人とか肥満人とか、もっといえば被害者が身体障害者であるとか、さらにいえば非正規労働者であるとか、生活保護者であるとか、世間のどこにもみのおきばのない中高年ひきこもりであるとか、そういった場合にどういう同情がうまれるのかなあ、とちょっと想像する。