よる

まあそれであとは酒のんでつまみつくって食って、ついったのTLみて、第二子の出産おめでとうリプライがとびかっており、オレには関係ないがそういうのを見ているのはちょっとええわ。世界は滅びとはちょっとちがう方向に向かっているようで。
 
 まあなかなか日記(web)に個人特定とかできそうなことを書くのは憚られるので、書くならオフラインの方に書けって話で、でもそっちで書くのはどうにもちょっと閉じているんだなあ。
 まああれだ、職場が、ありまして、職場があるというのは他人がいるということなのだが、
 職場はまたオレのすごしているのとは別の意味で「生活の場」であって、オレはそこで「生業」のために過ごしているのであって(金がどっかから入ってくるのであればべつにそこには行かない)、別の意味の方々は"金を払って”そこにいる。オレはもらうほうで、方々は払う方である。
 方々の払った金(方々の本人が払う場合、家族が払う場合、保険が払う場合、行政が払う場合がある)は、いっかい組織に入って、さらに大きい組織に入って、まわりまわってからオレの懐へとやってくる。
 この入る配分にはたくさんの階梯があるのであまりにもたくさんありすぎて、オレが頑張るとその分多くはいるなどというシンプルなものの正反対にある。つまり「変わらない」。
 変わらないときに人は労働意欲を失うのか。
 
 失うといえば失うが。
 
 民業と官業というのがあって、厚労省の制度の下でやっているやつはみんな官業といってもよく、なかなか「働いた分の利益」にはならず、そのあたりは旧ソビエトよりもひどいのではないか、それなのに日本人はおかしいからよくやってるね、みたいな。
 
 で、どうなるかというと、制度の中でまもられるべきところは守られてぬくぬくし、あとはそれ以外の部分でできるかぎりの「省力化」を図る。もらえるかねが同じならば、かけるコスト労力を最小化することで、利益生み出し力が最大になるわけである。誰でもそう思うだろうしソビエトの人民もそうしただろう。
 その結果が労働生産性の低下であり目を覆うものがあり、
 いまの日本も労働生産性はかなり低くどうしようもないと一面で言われているのもさもありなん。
 こういうことを書くときはデータが必要なんだよなあ。