ひたすらまだ年末年始のテレビラジオを消化している。永久保存版、16回目の志村・釣瓶のあぶない交遊録。マツコ・デラックスと3人ロングトーク。
このくらいの長いのはなかなかできない。
全部面白いのだが最後の方でやっと怒り新党の話がでる(テレ朝だからか)。夏目ちゃんの評価がものすごく高い。まあそうだね。日テレは惜しいことした。そうだね。
有吉が得してる。そうだね。
マツコという人の仕事、どうも本人が語るところではいまこれでこのまま行ってそのままいいとは全く思っていないようだ。
まあメゾン・ド・いばらであるから。
しかし志村と釣瓶は「あんたにしかできない」ことが現状で成立しているという。そう見えるのだろう。本人の姿と、まわりから見る姿はぜんぜん齟齬があるだろうから。
まわりからみてマツコは唯一無二の立ち位置を十全に把握して有効に活用しているようにみえる。どんな球でも打てるバッターにたとえる。DHである。打つだけ。だからボックスに立っていればいい。ぶんと一振り。
マツコ本人は、それではいけないのではないか、なにか、まっとうな形でのやることがあるんじゃないかと思っているようだ。それはそうかもしれない、マツコは自分で努力してなにかを絞り出しているという感覚がないのではないか。自然体でそこにいることが仕事だなんて動物園かよ、みたいなものなのかもしれない。
それでもまあサービス業だ、タレントだって。
めずらしい動物はチヤホヤされる。パンダ、レッサーパンダ、コアラ。
それでもマツコという人の中にある羅針盤のようなものの感覚が、その感覚が適用されるさまざまな場面をもっと見たいと思う。視聴者としてのオレはそう思う。あるいはヤジ馬。