よる2

いろいろ整理
 
「暇と退屈の倫理学」をずっと読んでいるがやっと最終章に辿りついた。ここにくるまでにユクスキュルの「環世界」概念はずっと意識していた。あと、脳にとっての「探索能力」がオーバースペックなので移住生活を終えて定住してしまった人類はうんぬんかんぬん。
 ユクスキュルという実在人物から、ミニスキュルができたのだろうか>?
 ミニスキュルはEテレでもやってるフランス産のトイアニメですが。
 
 エロマンガじゃないとできないことがあって片づけをやっているといろいろ出てきて「キャノン先生トばしすぎ」を再読する。何回読んでも感動する。愛に。
  
 やっぱいくら部屋が狭くなっても資料という名のものどもはたくさんいた方がいいのか。クレイジーでもかまわないのか。そうかもなあ。
 
 脳についてはいろいろ思うところあって、どの方向を探すかわからんので適当に読んでいるが、「脳には妙なクセがある」を読みつつ、どうしてオレがいまのような生活を選択したのかを考える。
 
 合理化というと心理学だが、つまるところ現実のいまのありようというのは選択の結果である、オレはこれをえらんだ。
 まあ自由は自由である。
 金はそこそこ。
 いいソファ買いたい。チェアとオットマンでもいい。カウチ。ロング。L。
 
 いちばん気になるというか覚えておいて損ないし得だと思うのは「笑顔の形式をつくることで、笑顔にふさわしいような気持になる」ということだろうか。
 ラフターヨガ。
 
 自由意志というものは無い、とか。
 アゴラからひいてみるけど。
 http://agora-web.jp/archives/1511053.html
 
 なるへそ、脳を鍛えるとは経験を重ねることと思えば加齢はそんなにわるくないとも思えてくるのである。
 
 しかしじゃあどうして最終的に認知がわるくなっていくのかって。
 それは生物の寿命ってやつじゃあないかしら。
 死すべきときみたいな。
 
 エロマンガでものすごく感動するものも他にいくつかあって、捨てられない。
 感動というのとは違うかもしれない。
 
 大昔に買ったエロマンガ雑誌でもなんとなく捨てられないままとってあるやつは最早なんというか遺産というか、そのころの時代の空気みたいなものがそこにある感じがしてなんともいえない。まあべつにビンテージでもなんでもなく、ただの古紙であるのだが。
 
 しかし、まあ、別に捨ててもいいとは思う。
 
 旦那が老人施設に収容されコドモが独立してしまったひとりぐらし老女は家を将来だれかに売るためにとにかくモノを捨ててさらっと整理していくという。死んだらエロマンガ読んでくれる人もいなくなる。
 
 まあそれならオレが読んでよみつくしていくのがいいのかもしれない。