朝の続き。
まんがごときにそんなにまじめに登場人物のゆくすえを気にしてどうする。
という声もありそうだが、さにあらず。
まんがを読む最大の理由が「登場人物がもう他人とは思えず、その行く末が気になり、来し方行く末とともに、その未来が知りたくて、一蓮托生、ついていきます」というのが漫画にかぎらず物語を読む最大の理由なのである。
そうじゃないのかね。
まだ語りという口承の時代であっても、そのあとの活版印刷のはじまった時代も、ディッケンズの活躍した大英帝国時代も、いまの日本も、どこも同じなんじゃないのかね。
人間の最大の特徴はその眼前にあるものでないものを記憶として離れた時空でも呼び起こして呼び覚ますことのできることである。
お話、会話の中で、眼前にない物事について他人との間で語ることのできる理由はこれである。
過去でもいいし。想像上の未来でもいい。
ここでなくて外国でもいい。
空想での世界に、そこにも生きていると想定されるものがいて、なにかをしていて、まるで実際に生きている人間と同じように何かを考え、何かを行動して、何かをしようとしている。それは人間の生きる姿とほぼ同じである。
だから、それを見て我々は、応援したり共感したり、その先を気にしたりするのである。
それが、マンガの「次週の発売」をこころまちにする理由だろう。オレだって明日発売のYJでいったい源君物語がどうなっているのかすごく気になっている。嘘喰いで獏さんがどうなっているのか気になる。キングダムで少女軍師テンちゃんがどうなっているのか、気になる。時間は流れている、彼らだって前に進んでいるのである、もちろんオレも前に進んでいる、進まされている、時間は前にしか進まない。
マンガと実際を同じにするなって?
人間だけが想像の世界を「この世界と地続きである」と認識できるんだぜ。たぶん。
世界と地続きのところはぜんぶ人間に認識可能な世界なんだよ。
この話は漫画というものを媒介にしているからバカにされがちであるが、
じつはそういうことではなくて、人間はデバイスを発明開発することによって、あらゆる方向に手を目を耳を伸ばして延ばしているのである。
たとえば「宇宙を観る」こと。「宇宙を識ること」。ダークマターをどうやって測るのか。その方法。
たとえば脳をしること。脳は我々にとってまったくわからないものからだいぶ進歩した。ミラーニューロン。
いやね。思うに、ね。
ギャグとシリアスをうまくまぜるなんてことは、そんなに器用に読者は受け入れられないんだよね。
かならず主軸がどこかにないといけない。
どんなに都合のいい話だろうと。
オレはなんとかしてハヤテを見捨てない方法を見つけたいのに、なかなか、見つからないんだよ。それで困っているんだよ。あんなに女子ハーレムをつくってみんな魅力的なのに、誰も幸せになれないし、お話も進まないし、いい加減なギャグ回で進行が遅延されて、どうにもならず、じじいも死なないし、早く死ねばいいのに、そしてすべてが決着すけばいいのに、たかがコミックスの売上で引き延ばしされているのかい?だったら買うのはやめるけど。
ああもう惜しいのだ。
サンデーを生き返らせるにはハヤテをなんとかすこしでも何か制動することが大切だと思うのにその具体例が分からない。