あさ2(松浦亜弥さんの結婚報道と猫物語(白)によせて)

あややおめでとう。一時期はあちこち遠いところへもライブ見にいってた身としてはなかなか感慨ふかい。いままた「風立ちぬ」の関連で「ひこうき雲」が脚光をあびており、あややの歌う「ひこうき雲」は昔もいまも戦慄のはしるレベルのきらめきをはなっている。そういうおそるべき力があるものを、過去に知っていまもそれがそこにあるということが、すごいことだと思う。
 いやほんとにね。アイドルというのは一瞬のきらめきなのだけれど、それがあまりにまばゆいので幻惑されてしまってなんなら一生そのまままぼろしの影につつまれても生きていけるのである。きっと。
 
猫物語(白)5話。最終回。
 とてもいい、とても悲しくてかなしくて哀しくて、つらくて苦しくて引き裂かれるようで、変わっていかなくてはいけなくて、変わっていかないと生きていけなくて、いままでにあったものあったやりかたあったスタイルはすべて捨てて、なにもかもそこにあるものはそこにあるとして受け入れて、いかないと、いけない。
 我々がアニメをどうして見るのか、見続けているのか、おっさんになってもアニメに真剣に取り組んでみて観賞して拝見してとりこまれて魅了されて幻惑されて、そこにいる人物がそこにいることを確認して、その姿に自らの姿を映し、移して写して、そして自分がオレがわたくしが、おっさんになってもまだ生きていてなにかを感じたりなにかを足りないと感じたりなにかが欲しいと感じたり、それを求めたり、他人の愛を求めたり、他人に告白したり、他人からふられたりして、それでもそれをしたことはそこにオレの感情があったことを確認して他人にちゃんと言葉で伝えたんだとわかって、しかも本当は一瞬でもうふられたんだと分かっていても感情はそれをごまかすために働いて、それで騙されてなかったことにしていても、それでも事実はそこにあってそのままそこにあるからいつまでもなくならない、オレが真実を認めるならばそれはなくなるだろう。雲散霧消するだろう。記憶はすり減っていくだろう。
 そんなことをおっさんにまで思わせて考えさせてしみじみさせてくれるような代理体験がアニメの中につまっておりオレはほっちゃんの鳴き声を泣き声をききながらまたこの休日の朝に没頭するのだった。
 アニメもまた恐ろしい。