整理してみると。
いくつかの問題があるが、最終的にはおそらく:
オレはどこにいってもいさかいを起こすタイプの人間なのだが、
それでもなんとか数年をすごすことは出来る(ここにはいま6年目だ)
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これを繰り返していくといつか死ぬ(かならず)
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死ぬまでの時間はこのスパンの繰り返しでなんとか過ぎていきそうな気もする。ちなみにいさかいは「それが原因でしぬ」ものではない。
単に他人の中に嫌いなやつがいるってくらいのものだ。
そういうやつはどこにでもいる。
なぜこの仕事に関わる人間関係の話が、いくつかの問題の1番目にきているか?
それは「仕事をしないとお金がなくて生きていけなくて死んでしまう」からだ。オレは生きていたい・
しかし、仕事ではなくて、それ以外の、とくにこれをしたいこれが優先順位の一番だという具体性に満ちた肯定形の概念をもたないのだ。
否定形ならある、死にたくないとか、自由にしていたいので命令されたくない、とか。
仕事というのはソロではないので命令だらけでクソである。あとやたらみんなの意見がなんとかとかいうけどぜんぜんそれ合理的でもないし正しい結果もよりより結果もみちびかない。クソだ。
それがオレのしている仕事である。
いっぽうで「仕事内容」は、わからないけど、それにめぐりあえてよかったなあと思うこともある内容である。接客で対人サービスだが、なにかのプラスを作り出す価値がある。あると信じている。ときにあるけどときには無力だ。それが医療福祉系の宿命だと思うし思っている。それでいいんじゃないかと思う。条件ははじめから不公平で疾患は個人的で、ばらばらなのだ。
そういう仕事内容なので俗にいう「やりがい」だけはちょっとだけあるのでオレは仕事を続けられるのだと思う。
こないだ書いた中枢疾患の治療的運動についてももっとまじめに文献を読みこむ必要があると思っている。実際目の前に問題もあるし。
それをまあ定年あたりとか55あたりとかまでやるわけだ。あちこちで。なんとかして。それがオレが生きていることの内実なわけだが。
いっぽうで豊かな人間関係はどこにも築かれない。空白である。し、空虚である。そんなんで生きていけるのかと言うわけだが、まあ仕方ない。そんなもんだ。どうでもいい。
どうでもいいと書いてどのくらいオレがそれに反発するかで計ることができる。愛なんて嘘っぱちだ、と大声で言ってみろ、という「源さん」のおしえである。漫画。業田良家の。源さんが首相になったりするやつね。