よる

足利市立美術館で石田徹也展。
あとはひたすら運転。
盛岡着く。今夜は泊まり。
 
石田展。nhk日曜美術館で放送されたこともあると思うが、雨の土曜日で日本人現代の画家の展覧会としてはかなりの混みかただ。
それだけの強烈さがある。
いつも思うけど絵画はサイズが重要でこれはテレビではわからない。
 
衝撃というかなんというか。孤独、そのまま朽ちていって、ついには身体の上に鉄道模型ジオラマが作られたり、草がはえた公園的な山になったり。
初期の作品ではトイレに逃げ込むなどの逃避とか、生きたままなのか死んでからなのか人間が椅子になったりL字金具になったり。固形化。
あとはテレビ集積マンションのなかで寝ていたりする。
 しかしだんだん時間がたっていくと作品は変化して、最終的には作者本人が登場したり、室内で山道具とともに熊とともに静謐な時間を過ごしたり、生きながら変容して腹部などに人面が複数浮かんできたり。
 
 何かを思わずにはいられない。
 というかこわい。
 
 どこにも救いがない。ああ、コタツ親父はちょっと救いがあった。あのへんがユーモアなのだろうか。絵画はすごいとこに言語ではないのであらゆる人類に繋がる。
すごい。
 
あとはひたすらドライブである。
長瀬くんが来たメガネびいき。なんちぅか、小木さんすげえわ。ここまで徹底してる人は滅多にいない。矢作さんがうまくやっているのはわかるが確かにクソメンとしての星みたいなのを背負ってるのは小木さんだ。
セッション22、金曜日、アルコール依存症について現在進行形である中川氏とストップしてる小田嶋氏と久里浜のドクターが登場。
 アルコールがもし無くても、もともと人生が暗黒面に満ちていることはかわりないのかもしれない。しかし実は小田嶋氏の風呂場で子供を落として血が出てそれ見て笑っててそれを全く覚えていなかったエピソードが、もっとも戦慄ものだった。
 記憶がないのはオレも自宅飲みで何回もあるけど。鍋焦がしたりとかね。危険極まりない。
 なんにせよ。病。
 
 あとは盛岡着いて、まどか☆マギカ見ようと思ってたけど1800に間に合わず、ジュンク堂で立ち読みして、荻原魚雷「活字と自活」に強く惹かれたんで立ち読みした。
 いったいどうやって収入を確保しているのか。
 あとは群ようこの10万で一月暮らす小説。
 
 多分キーは他人との協調だ。ラジオで中川氏を心配する声が多数寄せられていて、まあそれは同級生の常見陽平氏をつうじてのものでしたが、そういう声が届くことで人間はどうにかなるのではないか。
その辺オレも考えないとなあ。孤立ではなく依存でもない自立。
と、自律。
いつも同じ風景を思いだす、マックスを心配しつつもマックスはうまくできるようになってきてて、できなかったのはグレアムの方だった。はみだしっ子

前沢のサービスエリアにて。ご当地モノ。