毎週読んでいるNBOのオダジマコラム(URLは貼りません)。オダジマさんはラジオだとあんまり面白くない・・のは企画のせいだろうなあ。ただの放談になっているもの。火曜たまむすびにおける町山さんの企画はちゃんと1本の映画という中心軸があるからいいんだよ。おなじく、コラムにおけるオダジマ氏はもちろん本業コラムニストであるから中心軸がある。あるよ。あたりまえか。
今週は謝罪である。
テレビで謝罪会見をみてそれをたのしむ残虐な民衆。あまりローマのころと変わっていない。コロッセオ、獣と人間の戦い、流れる血をみて騒ぐ民衆。
http://romamayumi.exblog.jp/18546298
こちらの方のお話は詳しくてためになります。
オダジマ氏コラムから引用
”ある程度以上の人数がひとつの場所に集うと、その人間たちは、集まっている一人ひとりの人格が、それぞれに温厚で礼儀正しいのだとしても、全体としてふるまう時には、ひとまわり残酷な集団になる。 ”
その通りだ。どこでもいつでも。いじめが陰湿にしてエスカレートするのは集団対1人だからだ。日本でも世界中のどこでも。
人間がダメないきものである証明。残虐性。オレも毎日職場で見ている。
だったら徹底的に孤独であることもまた一理あるといえよう。
デタッチメント。
愚かさ。たしかに愚かであるわ。そういうことを考えた。
ヒトラーをささえた民衆は皆がそれぞれ自分が正しいと考えて行動したわけだからなあ。
いまドイツで「現代によみがえったヒトラー」の小説があるという。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34808
皆がヒトラーを賞賛して協力したのだ。
まあそれだけ大きい話もあるし、一方で小さすぎる田舎の小組織においてさえ愚の連結があるということも。