あさですね。 5時ごろおきてごそごそしつつ朝食準備など。
100分で名著をみている。再放送。この番組は放送でみるとみれるが録画では見れないなあ。
ドストエフスキー「罪と罰」。殺人を小説に。
そのままETVを見ているとスーパープレゼンテーションをやっている。
2013に最も注目を集めたという「30代は20代みたいなものではありません」。
オレが43歳としておもうことは、つまり、そのような事実として重要なことはたいてい20代に起こるのだからそのときにやっておけ選択しておけ性格を変えたいなら変えておけ、と、言われても、ふうむ、としか言えない。
それよりは「なぜ中年が不安になるのかというと、中年は、20代ではなく中年になってはじめて、もう”そんなに可能性がない””もう子供が産めない””この先はこのまま今の不満足のままなんだと気付かされる”」ことが気になる。これは考えようである。自分探しなんかやってる場合じゃない。なにが「Worth」なのか。
そこで慌ててもしょうがない。
ひとつふたつおもうことがある、
「本当にあなたがやりたいこと」なんていまの段階でわかるかってわかんねえよ。
あとは、このアドバイス、20代が聞いても身にしみないんだろうきっと。若いやつは伝統的に徹底的に「上のやつが言うことなどまったく聞いていない」のだ。
なのでオレはともあれ日々をやっていくしかない。
幸いにしてマシではないにしろ破滅へと突き進んでいるわけでもなく。
悩みについてはこういうのが好きだ。
http://goodbyebluethursday.com/archives/34942452.html
「さようなら、憂鬱な木曜日」さまより。
”「悩みを解決するための魔術的公式」を使ってみたら驚くほど悩みが解消した”
仏教的でもある。すべては空であるが、それは理に基づいてそうなっているので、理を突き詰めることで空を実感できる、みたいな。
解決できるかできないか、(これはつまり問題は自分の権能のうちにあるかないかを考えるということだ。死ぬことは権能のうちにないから、自分では避けることができない。)できないなら受け入れるということになる、わけだが。
最悪のケース、というのは
オレははじめて見たのは水島新司御大の「ドカベン」において土井垣監督と徳川監督が対決したときのことだ。想定をお互いがする。最悪と最良について考えていた。ふうん「想定」ってのはそういうことなんだなっておもった。