マハートマー(偉大なる魂)・ガーンディー氏のことば。
あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。
と。それが昨日は気になって車の中で寝転がり考えていたのだが、
どうも本当のところの真剣なところでは、
生き延びていたいということの他になにか本当に心の底からこれがしたいというものがない、のだ。
だがそれはそうだと思う。人間の社会的使命というものは実在しない。一部の偉人は事を為してそれから社会的使命を果たしたのだと言われるようになるが、まあ途方もないことをおもいついて、それを信じて最後まで他人をまきこんでやり続けたその末に結果があらわれるのだが、
ほとんど狂人の沙汰ではある。その「信じた」ことの内容は、まわりの人間から見ればまったく信じられないような夢や空想の内容であり、そんなことを思うことさえおかしい、常識のレベルから完全にはみ出している、という内容なのである。
では「常識のレベルを保っている」人間(そうだろうと自分でおもっている人間)は、何をするのか。
ここでいつもオレは考えの中に「仕事をする」と「子供をつくって人類の存続に貢献する」というのが両方でてきてしまって困る。
仕事はしているが、子供をつくることができないからだ(ひとりでは)。
で。
まあ仕事すりゃいいじゃん、仕事をつうじて、どんな働きであろうとも社会全体からみて、なにか微かでも貢献してるだろ、という理屈は成りたつ。
成り立つけど、ときどきなんか間違っていると思うことがある。
仕事の中にも、世の中を悪くする仕事があるような気がするんだ。テレビショッピングは確実に悪だし。
そして。
老人ばかりきている病院は存続していいのだろうか。
そもそも老人というのはこわれかけのラジオであってどこかがかならずおかしいのであり、「治癒」なんかできないし、投薬しても著明な効用があるわけでなし、そんなんに国民の医療費をそそぐのは間違っている、
のだ。
人間は死ぬのであり、そんな人に薬やるのはやめれ。それよりもその金をベーシックインカムにまわせばいい。そしてそのインカムで、薬がほしければ薬を買えばいい。
さて。ここで平等とはなにかの話になるのだが。
そんなんいろいろだよ。
あれなんの話だっけ。