よる

今日、あさ、書かなかったな。忙しかったのかな。そうでもなかったが。さいごは急いでいたな。
 
毎日が労苦で業苦であるわ。つかれるわー、ツルヤも風呂も休みだわー。
 通販でもうしこんだ久谷女子7号がとどいた。うれしい。中をざっと見るにいかにも同人である。うれしい。同人買うのひさしぶりだ。
 
 あー雨なので気温がちょっと高い。ありがたい。
 
そういやひさびさに上司に呼び出されてなんだと思ったらなんと昇進だった(論功行賞人事)。いやー。
 
いや^−って褒められてないから。
 
なんだかいろいろおもうところがあるのだが、まとまらない。
まとまらなくてもいいが断片は存在する。
 
鹿児島の日曜は曇りハレだ!そのまま行ってくれ!!
 
考えたこと。
小田嶋氏がたまむすび(月曜)にやってきていろいろしゃべった、この日はめずらしく竹山氏が休みで、パーソナリティはたまちゃんとナタリーである。女二人を相手に語る小田嶋氏。
紅白の話。もはや紅白は「国民全体の娯楽」ではない。かつては、出場全歌手を、視聴者が全員、すべて知っていたし、美空ひばりの「柔」は歌詞まで全員が全部諳んじていたというのだが。今はそうではない。分散。
 
 いっぽうで、セッション22では大瀧詠一氏の「指切り」がかかった。ピチカートファイブがカバーしたのはきいたことあるが原曲ははじめてだ。ファーストアルバムなんだねえ。
 
さて紅白の話に戻る。まず、全員が共有していたというのは明らかに情報元が一方通行のひとつしかなかったということを意味している。テレビオンリー。テレビだけ。歌を見る聴くものはテレビ。国民全部が。
 音楽だってラジオもあったろうが同じようなジャンルの同じような歌手たちのまとまりとしてのクラスターを消費していた印象。
 それを、録画機能などない家に一台だけのテレビで全員がお茶の間に集合して鑑賞するのである。
 
 そうだったわね。
 
 いまの日本は個別化でバラバラ化で、興味関心もいろいろで、出てくる歌手を全部知っている人はありえない人になっている、若いのは若いし古いのは古い。もうバラバラだ。
 しかしSNSがある、お茶の間がきえて家族が解散したかわりにSNSではチャチャいれつつツッコミつつ同じものをみんなでみている感覚を味わえる。
 
 というのが小田嶋氏の話。
 
 しかしこのあとで、新幹線で事故火事で遅れでめちゃコミの列車で「グリーン車はあいてるんだから」うんぬん炎上事件が。
 これについては「FBではみんなやさしい言葉を出して、ツイッターではみんなきびしい言葉を出していた」「ツイッターでの厳しい言葉というのはいまのマスコミの言葉がやさしい偽善的なものになっていることの反面ではないか」
 ということである。たしかにそうだす。2chでもツイッターでも匿名のことばの集合は荒々しくぎしぎししていく。
 
 これに関連して。BLOGOS。
http://blogos.com/article/77410/
「現在のネットは「群集」を生成する装置になっている〜コラムニスト・小田嶋隆氏インタビュー」
 
たしかに。
 集まれば下品。そのとおり。
 ネットはリアルでゴハンたべるオフの一回にもかなわない。
 社会を動かす力かどうかは別。
 
 あと「近日点」についてしらべました。1月の4日とか5日とか。けして距離が近いのが暑いわけじゃない、暑いかどうかは傾きできまる。というのは距離の遠い近いは3%くらいしか変わらないのでたいして変わらない、しかし傾きは。。・傾きはどうなの?オレの理解あってる>?
 また調べよう。
 
 いろいろバラバラに書きすぎたがまあいいや。