ここから恣意的な意見。
さっきまでCRKラジオ関西のほっちゃんの天たまをきいていた。いつも抑制のきいたいい番組である。キレない。
その後。PCにてニコ生のタイムシフトしてある「ゆかり☆ちゃんねる5」を見ていた。
堀江さんと田村さん、いつもよく比較されるというかペアリングというか。
しかしこのニコ生でみる露出多めの田村さんが
なにか
ちょっといたいたしい。
ちなみにオレはいちおう王国民でありめろぷりにも年会費を払っていて鳩を日々受信している人間である。
しかしちょっといたいたしい。
この気持ちをどう表現したらいいのか。
べつに結婚が適正保守パスポートであるとは思っていないが、それでも、なにかが混迷の中にあると思うのである。混迷。真宵。
まずこの人は「子」ではない。かんたんに言うとおばちゃんである。
鷲崎は「子」とか言うが。
いつまでも若さを至上の価値として若いことは素晴らしいと持ち上げている勘違い勢がいかに痛々しい痛ましい感覚を生み出していることやら。
そんなことしている場合ではないと思うのである。なぜなら時間は否応なしに経過しているからだ。
声はいい。声はそのものとして耳にとどき、耳は「常にひらいている受信機」であってその代償としてかんたんに騙される。
しかし目は、目はその形を図像として吸収したときに価値判断をするものだ(大脳の視覚野において)。
ゆかりんが日々痛々しくなっていくことに耐えられない群もいると思う。ラジオで毎週苦しくもおもしろい自虐があるのは全然かまわないが動画で痛々しいのは大変に苦しい。
もっと情報が租にしてたどたどしく素描くらいの肌理の粗さであってほしい。租と粗が相似にも思えるのは偶然ではない。
デジタルTVが人の皮膚の肌理までも映し出してしまうのは残酷以外のなにものでもないのだ。
人が対面で人の顔を見るときにあまりに近づいてみるのは「失礼」というものである。
それだけでわかるのではないか。