よる2

感想ふたつ
 タブレットで読む雑誌。いい。いける。これはいい・そして紙より安い。今後はもう週アスは電子でいこう。べつに消えても困らないから。ちゃんと読める。きれい。写真OK。
 
 ラジオ・不毛な議論。山里氏、そしてゲストのマツコ・デラックス
 
 私はこの日記でなんかいとなくマツコ氏の言動に影響されている人間であり、だからこそ、今回マツコ氏は山ちゃんにどういうふうに当たるのかなあと楽しみにしていたが、それはまったくもってそのとおり面白かった。
 「もうそろそろいいんじゃない、引き出しは封印してフリートークで」
 マツコは実際やさしい。人物を認めた相手に対しては。
 それは有吉であり夏目ちゃんであり、タモリさん黒柳さん(は、尊敬か)であり。
 今回はふかわりょう氏への暖かい眼差しが見られた。5時に夢中の話である。
 そういえばふかわ氏もまたタモさんからの暖かい手によって救われた一人である。
 岡村さんとかもそうである(歌手じゃなくてお笑いの)。
 
 テーマは孤独である。孤独を飼いならす、そしてタレントとして生きていく。
 
 今回のオリンピック。ちょっとしたことで毀誉褒貶にさらされる選手たち。でもタレントというのは日常的に毀誉褒貶なのである。私生活がネタになる。
  
 孤独というのは「他人から切り離された」ことである。
 
 マツコは、「アタシが何を言っても許されるみたいなのは、男組でも女組でもなくて、なにものでもないからだ」みたいな発言をする。どこの組織にも属していない。属せない。
 
 マツコさんが我々のような視聴者のなにかを代弁しているのは事実である。しかし本質的なところとなるとなかなかテレビでは発露されない。ラジオならある。禁断(JOQR)を聞いていてもちょっとしか出てこないけど。でも今回の不毛ではけっこう出てきた。
 芸人をリスペクトすること。respect。
 テレビの、バラエティというものについて、緊張しつつも、他人から「緊張なんてぜんぜんしないんでしょ」と思われつつも、それでも何年もやってきてやっとパスまわし的な動きが会得できてきたこと。
 つまり仕事の理解と仕事の継続、不断の努力、クオリティの上昇。
 マツコさんが「池上さんのとこで書生?」っていうのは山ちゃんの「努力」に反応してのことである。けして茶化しているのではない。面白がってはいるが(反応を)。
 
 そのようにマツコ氏は見込んだ人を応援する。男でも女でも。それはごくたまにしか起こらないが、それでも。
 
 それにしてもこないだのマツコ・クリス・ミッツの三者鼎談はおもしろかったなあ。またやってほしいなあ。
 
 餅を、おでん的なスープで煮混んで食ったらもうドロドロになっており液体なのか固体なのかわからなかった。餅を吸うという地方もあるみたいですしね。冷凍の餅、月曜朝までに食っちまわないと。