よる

起きました。
 
最近のおもいつきというか脳内
・テレビに出てる人の世界はオレの世界とはかけ離れていて関係ない(あたりまえ)
・あかるくとらえるのは難しい(オレにとって)
・雑談はうまくいくとたのしい
・休日にやることがない
  →正確には「やらんといかんことがあり、それを、一気に、やるだけの、気力がない」
  →「それをやりたくない(正直)」
  →その理由は「うんざりするから」
  →なににうんざりしているのか「過去の自分がゴミを貯め込んでるだけの無能
    だということに直面することにうんざりしている
 
 ・だが、たいがいそろそろである、ろくでもないことしかしてきていないの
  だ、それがバレているわけだ。
 ・バレバレ。
 ・ほんとうはこういうことはどうでもいいことなのだが、悪いことに、
 社会に生きていて自営業を一人でできるほどの才覚などがないので、
 同僚がいるのである。
 
 いつも苦悩というか苦労というか苦闘しているのは同僚といかに「平坦に」つきあって話して業務連絡するか、ということなのである。
 
 ただの業務連絡なんだからビジネスライクに事実のみ事項のみを淡々と伝えればよかろう。ところが世の中はそんなに簡単にシンプルにできていないのである。
 
 問題は「アセスメント」「目標設定」「目標の数値化」などの進捗につながる事項である。 
 
 これが工業製品であれば、ラインのエラー率をいかに下げるか、人間行動の中でどのあたりが感情に基づいて予断を生みだしているのか、など、まあいろいろあるけどテイラーシステムとか、そんなかんじでやっていけるんじゃないのかな。・・なんて思うのだが、
 
 (もちろん、そっちの方にもいろいろあるのは承知している。どこまで逃げても人間集団であることにはかわりない)
 
 しかし今オレがやっているのは対人のサービス業なのである。
 
 しかもお題目というかタテマエとしての「福祉」なのである。よりよき人間生活を、実現へ。あなたの。もっている。条件の。中で。
 介護保険制度というものがありまして市町村がその保険者となって人間たちが介護サービスなるものをその身体生活精神の程度において適切にうけることができる制度なるものをつくりだしてみてやってみているんですね。
 
 問題は「公的に行っている制度なのだから公的に問題のない状態でなければいけない」のである。サーヴィス提供側のほうはいつもそのサーヴィスが適切に
 正しく
 過不足なく
 
 行われていないといけないのである。
 
 人間が人間らしい暮らしをすることの助けに、支えに、下支えに、プラス方向にベクトルが向いていないといけないのである。
 
 オレそんなんごめんなさいあーくさいであるんですけどもなあ。
 
 そもそも。
 
 さっき「休日の行い」としてたまった録画を消化していたのだが。いろいろ見た。NHKで南相馬における老々夫婦の介護的生活など見ていた。もはや端座位さえもささえきれない。しょうがない。
 それでも生きているのならばそれなりにやっていける方法を考えるしかない。その本人のもてる能力を保っていこうとは思うが、それでもできないなら、サイドからサポートする端座位姿勢保持の環境をつくるしかない。サイドサポート。肘かけ。ロングクッション。
 
 だからだいたい人間おいたら老いたら朽ちていくんだから弱っていくんだよ。あがくのは本人の勝手。オレの父などは最大限あがいている、いまは成功しているがいつでも失敗しうるのだよ、倒れてもそう簡単にオレがかけつけるなどと思うなよ、
 徘徊して線路で轢かれて損害賠償裁判であるよ。
 オレは対抗告訴してやるよ。認知症老人が踏切に近づくのはもはやいまの日本では簡単に想定しうる事態でありそれにたいする対策を怠っていたことが鉄道会社の過失だとな。
 そして控訴控訴最高裁までいくあいだにオレがしんでしまえばいいのだ。