よる よる

 まあそれで折り畳みベッド(Folding Bed)も家に届いたんだが。これを組み立ててそれで寝るのがいつになるのか知らないが。
 
 ヘッドホンでN響アワーをきく。いや今は違う名前なんだっけ。
 
 なんにせよアパートである。大きい音響はたてられない。しかしヘッドホンなら別。
 
 さっきまでシドニアの騎士を見ていた聴いていた。
 シドニア。なんというか。未来なのか過去なのか、遠く、旧時代の遺跡的なものもあり最新の科学的成果もあり、そして、白っぽい壁からなる構造物が、遥か昔に建てられたインダストリアの建築物にもすごく似ていて、その質感、ああまったく同じだ。そして電気さえ通っていればその重い扉はすーっと横に動いて扉が開くっていうね。
 電気がないと、それは重いままでそこにあってまったく開かない。 人力などなんの役にも立たない。
 
 そぅいう世界。遺跡的でもあり最新科学的でもある、そういう世界は遥か昔に昭和のころに既にコナンの世界にて宮崎駿が作り上げている。「核戦争によって一旦解体されたのちの世界」である。
 そういうのが、はたして現実にありうるかどうかの問題もある。つまり核戦争はすべてを焼き尽くし崩しつくし滅びさせるであろうから文化的なもの技術的なものもふくめてすべてが灰塵に化すであろうに、いかようにして文化文明が後世につたわるであるか。
 
 N響の音の響きをきいている。オーケストラによって奏でられる音楽は電子的な響き以外のすべてを包摂してる。
 電子っていうのはたとえばディストーションの効いた啼くギターサウンドである。
 
 ハープのような弦楽器が奏でる広がりをもつ響きにかなう電子楽器はまだ存在しない。
 
 およそオーケストラにおいて空間の空気の音響の響きを最大限に活用しようとしてそれでさまざまな筺体をつうじてそれは木であったり金属であったり、ある空間に対してぶつかる音波を増幅させる装置であり、アナログであり、電気は使っておらず、いっさいのエネルギーは人力で生み出されておりただ形を整えただけのことだ。シンバルの大きい音は金属があの形に形成されてそれを人力でたたきつけるとあのように大きい音が破裂的に出せると知っただけのことだ、ティンパニも同様に。
 それにしてもCelloやコントラバスのもつ低音の音響がいかに大きいか。
  木の枠をあの形にしておけば響きが大きく馥郁たるものになると知ったというかしれたそのときの人を見てみたいものだ。技術は断絶もするが基本的には後戻りしないしスナッチ、突然おおきいジャンプする。