落ち込み、depressionがあり、ここにきてからそういう時が多く、そういうときの対処、対処なんていえないが、つまり気晴らし、いや、逃避、興味のふりかえ、向きを探す、そうするといろんなネットを見たりしているが普段みないものを見てみたりもするが、
ネットには暗くなるニュースが多い。
ネットができて最も変わったことは何か?というと「史上初の、敗者の弁としての歴史が生まれる」というのがあった。
つまりいままでは勝者が歴史の公式見解をつくり流布させるので敗者の弁はぬりつぶされていくというのが歴史だった。
おそらくはモンゴル人(蒙古)に殺された多くのアジアのユーラシアの民の言葉などは残っていないだろう。
アイヌの歴史が先細りなのも被征服民族だからしてだ。人類のそれぞれのやつらはまったく平等ではない。殺し合いである。
殺しあいというのを置き換えたものがフットボールである。Wカップ。
日本がコートジボアールに負けて(コートジボアールを略して書くのは失礼だと思う、まあでも国名がフランス語からきているのもなんだな・・・どうなのかな・・・)、次の闘い殺し合いの相手はギリシアだ、Greece。
なぜグリースがギリシアとなっているのか、日本での呼び名。
わからん。
まあジャパンとかハポンとか言われるのがなぜそう言われるのかもわかんねえからなあ。
で、ギリシアだ。オレにとってのギリシアの印象とは村上春樹がほとんどつくっている。それでいいのだろうか。文学者だからまあいいんじゃないか。
魚を焼いて食う国だときいている。これはポルトガルもそうらしいが。
あと爺がカフェにたむろして、男女の生活圏が別れているイメージ。まあそれはどこでもそうか。日本だってそうだし。
菊地成孔が語っていたが千葉県の海の方は男はほとんどなにもせず働きもしないぶらぶらしてる人らしい。タイじゃん。
女は行動し生活し自治をするのだそうだ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/820893?page=1
フットボールの世界から見たギリシア。
どこにでも人間がいて人間の生活をしているなあという感じだ。貧乏、貧困、それは問題ではあるけれども、それでも人間は生活していてなんとか生きているし、それは善悪の問題ではない。ただそこでそうしているだけだ。滅びる種なのだとしてもいまは生きている。
朝にNHKAM1を聴いてたんだが、そこで本の紹介がありまして、
すっぴん!の「新刊コンシェルジュ」ですが。
今日の紹介は「東京自叙伝」(著:奥泉光/集英社)。すんなり読めるが読んでいるうちに怖くなってくる、という紹介でした。
どういうことか。・
仕事中の車運転中のことなので記憶はあいまいだが、たしか、
この本の登場人物の主義が、「なるようにしかならない」というもので、つまりは無責任でもあるのだが、問題があっても「未来のことは未来人がなんとかするでしょう」とか言っているのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO72752370U4A610C1MZB001/
日経の書評。
もちろん小説だから、小説はなにかに責任をとるものではないし、それはそれで。
そして読むほうの読者はそれを読んで、言うなれば、考える責任がある。原発事故に対して誰も責任を取らないのであればもちろん困るのは未来人である、未来人が現代の日本人に対して呪詛を念じても無理はない。そういう呪詛はきっと時空をこえて罪人のもとに届くであろうと思うけど。