よる

執拗にラジオを聴く人間であるオレなのだが最近のでいうとたまむすびが日に日に濃い。
 大吉先生を相手に「マラソンやってみようかと思って」というたまちゃん。
 月に一回やってきて中年についてことさら細かく掘り下げるジェーン・スーさん。
 
 とくに中年であるオレの身からして中年のことはとてもともて。
 
 中年として悲哀に満ちた日々を過ごしているオレとてもくじけたいとか死にたいとかやりきれないとか思うのであって、中年がどう考えてもとほほでみじめだなあと思っていることを共感することはたいへんに大切なことである。
 どっちかというとバカの度合いである。
 
 まあバカですよ。かしこき方々からみれば屑ですよ。
 
 中年が上と下からはさまれて悲鳴を上げるのもいいんだが、結局上の世代はどんなに裕福であろうともあとは死ぬだけであり、下はあまりに若く無知で蒙昧であるからなにが価値ある部分なのかもわからんでやみくもである。そう看做すと中年は一番いい時期にも思える。ものはいいようである。
 
 しかしまあ中年に先があるなどとは思わない方がよくて、どっちかというと先は無い。
 
 無いのだ。いつしんでもしにごろである。
 
 そのようにおもうしかないだろ常考
 
 Eテレで介護百人一首などを見ているがたすけあっていきる老人夫婦ばかりである、が、はたして15年20年経ってそのような夫婦がどのくらい存在していられるだろうか。だろうか。未来は暗いと思うことはこの世の憂さであろう。
 未来が明るいなどと思った人がいた時代はいったいいつのことだろうか。そんな時代があったのか。本当にあったのか。しらんぞ。どこに。阿呆か。