よる

帰宅し、床屋も行った。
 
細かい具体性が求められているのは確かである。曖昧ではなにがほしいのかもわからん。おっぱいをさわりたいのか、おっぱいがいつでもさわれる距離にいてほしいのか、おっぱいではなく人間を求めているのか、どれによってかまったく違うスライスオブライフ。・
 
 床屋、あそこはじめていったけどいいな。これからあそこにいくか。佐久にいたときは同じところにひたすら通ったがとくに愛着とかないけどメンバーの顔は覚えてしまっていた。
 
 食い物の量は、たしかにそうである。たくさん食べられないのだ。オレは。
 
 「恋と軍艦」旅行中だったのでひかえていたが今日さっきリアル書店で買ってきた。これから読む。そのうち感想を書く。
 
 ラジオ。旅行中に読書もすすんだが、ラジオもすすんだ。
 ラジオ二題・
 菊地成孔粋な夜電波、ジャパニーズヒップホップ第二回。モエさん。のレコメンド、DJクラッシュ&MCボス。どういう表記なのかもしらない。しかしものすごく印象深い。
https://www.youtube.com/watch?v=9s1Z0hN8WNU
Candle Chant (A Tribute) feat.BOSS THE MC / DJ KRUSH 2001


これですね。
 オレはモエさんのビジュアルを知らないんだけど、いったい、どうしてどうなって、ある女子がヒップホップにはまっていくんか。
 オレがラジオをききはじめたきっかけとは何か。
  
 まったくもってなにがそのように深く人のこころに印象を落としていくかわかったもんじゃない。オレは北海道は道東の深い霧の中でそのラジオを聴いていた。録音で。
 
 もうひとつ。
 
 ジェーン・スー。相談は踊る。
 
 そこにやってきた週替わりMCは柴田アナだった。TBS,柴田秀一アナ。
 男。
 サラリーマン。
 定年後、どうする?
  
という話である。そこでスーさんは言う。「”仕事”を通じてしか社会から認められない男たち」について・
 である。仕事以外に、社会とつながるチャンネルを全く持っていない男たちである。就職したら定年までそこにいるしかない男たちである。・
 社会。
 社会は厳しい場所だ。先に書いた認知症の話でも。「社会」とのつながりを失った老年の男には本当にやることがなく、やりたいこともわからない。なぜならそれを考えてみたこともないからだ。人生ではじめてそれをすることを60過ぎてからやってみようと、やって、いや、やることさえできない。スタートさえきれない。どうやってやったらいいのかわからないし、「・・・について考えてみてはいかがですか?」と言われても、それはAなるものをBからCへと移動させるような簡単なことではないのである。
 
 したいことなどなにもない。
 
 一方でスーさんは「今している仕事は私が100%したいからしているのであって、したくなければしていない」と言う。これもまたおそらくはオレにはフィクションに見える。そんなわけがない。そんなわけがない、そこまでアルティメットな自由が現代日本社会で成立するわけがない、食い扶持を稼ぐ必要があるからそれをしているというファクターがzeroであるわけがない。ぜったいにしたいからしているだけのやつがのうのうと生きているなんてわけない。
 
 いや、取り乱しました。失礼いたしました。
 
 まあ他人のことはいいです。

 できることの中でどうにかしてできることを成立させていきている。柴田アナだって本当はもっといろいろあるのだが、彼は決して「表現者」ではないので、それを語る言語をもたないだけだ。彼は「伝える人」であることにおいてはもちろんプロフェッショナルであり一流であるオレだってそれは知っている。
 
 社会なるものはけして抽象的存在ではなく他人の顔を付けた人間がそこからこっちにやってきて具体的に迫ってくるのである。いつも恐怖でしかない。
 ラジオは人間に考えることを要求している。