よる

今日も愛がたくさんあった(たんにいじられただけ)
 
愛というものを「他人とのかかわり」に置き換えたらいい。あったのだ。あったあった。存在した。そこにあった。

 あればいいじゃん、アゼルバイジャン
 
いまの課題としては
・真のニーズをすくいあげるにはどうすればいいのか
・変化をもたらすにしてもニーズに見合っていないと変化のしがいがない
・その意味であの子のニーズはなんだろう
・まあすくなくともテクニカルなレベルではオレは持ってないな
 
 こないだ木曜にいったうどんそば店(最高)でくいながらテレビみてたその番組が今日客先で話題になった。テレビばんざい。
 
 桜金造さんのリハビリの話である。
 
 いやしかしそのうどんそば店がよかったんだ。田舎の家であるそのものである。ひろい。畳が広い。
 いますぐまたいきたい。
 くいたい。
 
 たくさん話してたくさん教わってうれしい。
 というか教えてもらって嬉しい。ありがとう。どうしてオレなんかに教えてくれるんだろう。それは「アウトプットも出してきてくれよ」という誘い水なんだと思うけどね。・
 オレがふがいなくもまだいろいろ出せないのだがなんとかして出していきたい。
 攻めていくしかないわけだ。
 
 そう書くとまるでなにか意欲的な人生みたいに見えるから不思議である。
  
 実際にそうなのかどうかは問題ではない。
 
 かもめの玉子のCMが好きです。南三陸そだち。 
 
 車移動の仕事である。車でMoe and ghosts を聴いている。けっこう衝撃ではあるが好きな曲はリリックがいいという理由で「メンヘラ」である。知ってるフリはやめてよね。
 
 お金はらってるケイクスを見ているとバーの林さんが「老いるとは新しいものを吸収できなくなることだ」と言っておられた。
あたらしい音楽、本、小説、マンガ、映画、アニメ。その他。
 
 幸いなことにオレは職場が若い人がひょゃっといてくれておまけにオレを指導してくれたり駄目ですよと言ってくれたりするのである。なんと。
 
 音楽に関してはラジオが大きいしたぶん菊地成孔夜電波の影響はものすごく大きい。Moeさんの声やBOSS THE MCなんてぜったい普通に暮らしてて巡り合わない。
  
 明日死んだとしてもいい経験とかできてうれしい。顔が近くにある。
 
 今日はめずらしく公開文章を書いていて、似非旅行俳人風情風にしてみた。風土を愛でるグルメ人である。
  
 河と海と山とあればまあフルセットといえるのではないか。
 
 盛岡という都会にはなんでもあるらしいぞ。床屋も美容院も呑み屋も。
 
 どこに生きていてもなんだかんだ。理想があってもなんだかんだ。
 
 明日は竹山さんが土曜ワイドラジオ東京に登場する日なので仕事しながら仕事さぼりながらききたい。弁当わすれるな。
 あと充電コードをもっていけ。
 
 いつも思うのだがいったいどこに真の真の愛みたいなものがあるのだろうもちろんいま実在しないことは知っているなぜならオレの目にみえずオレの感触として感じられないからだしかし今日は業務上であの子の手に手をとられオレは視界が無い中で(目をつむって)感触だけであの子を感じた。キモいかねこの文章?だって業務上で勃起するわけにはいかないでしょう。でもそこにはあったわけだ感触が。真の愛はそこには無いのだがオレをそれを無からうみだしたい。やっぱりキモいような気がする。それはしょうがない。実際にそうであるなら、抵抗しない。