ひる

といいつつ、待ち時間に読書がはかどった。それ以外することがない環境がいまなかなかないのである。
続・終物語」と「本題 西尾維新対談集」を交互に読む。続、を読了。清々しい。
 
終物語について。とつぜん出てきた老倉さんというキャラがすごくオレは愛おしいと思っている。いまどこにいてどうしているか知らないが、つまるところは暦くんのことが好きだったわけでしょう?たくさんいる女たちの中の一人ではあるが、それぞれにとってみれば「私と暦くん」である。育ちゃん。そんな育ちゃんが続・終の中では振りきった甘えキャラになっており、そんなキャラになれたならよかったなあと思っていたのか、はたまた本当は暦くんは扇ちゃんなので女子同士なのか、そのへんどうでもいいんだけど、なんにせよあかるく自由にふるまえる安全な環境が、かりそめにでも鏡の中ででも育ちゃんに与えられていることがよかったねえとも思う。
 キャラに対して感情移入。
 
 いっぽうで対談集に出ている人は実在する仕事人間である。
 皆作家であり制作者でありつくる人である。つくる人にしか興味がないのだろうとも。
つくる。
 
 しかし人間はみな実人生で「つくる人」である。
 
 図書館にいって朝日新聞の先月分を読む。10月の論壇時評を読む、奴隷的な扱いをする、日本人が外人を奴隷として扱う。植民地において非支配層は奴隷的な扱いをうける、植民地じゃなくても日本人は奴隷的な扱いを平気でやっている。
 こないだ「小さな旅」で羅臼にやってくる外の漁船たちが紹介されていたがアレの中にインドネシア船員さんたちもいたな。
 オレが昔、大田区の冷凍処理倉庫でバイトしたとこにもいっぱい中国人「実習生」がいたなあ。
 
 など、いろいろ見たものの記憶を日記に書いているが。バラバラであるが。
 
 多くの人間は、人生を計画のもとに管理しようとか、目標を設定して達成しようとか、そんなことは全然考えないで、日々、やりすごし、生き残ることを必死で行い、成り行きにまかせ、死んだら死んだで、それはそれ、
 なのではないだろうか。
 
 間違いとか未熟とか判断力総合力の不足とか、そんなんどうでもいいのではなかろうか。誰がそれを測っているのか。
 
 いまいるこの市は東北の沿岸であり、太平洋沿岸の東北地方には平野が広がっているところなど皆無であり、多かれ少なかれどこも狭い土地にへばりついているし山はすぐそこに迫っている。
 山はすぐそこに見える(長野県と違うのはその山たちは小さいし急角度だというところだ)。
 樹の葉は広葉樹のために色づいてきていてそれらはおそらくそのあとに落葉してしまうのかしら。そうすると裸の木が山にあって色は灰褐色なのかしら。寂しい光景なのかしら。東北の冬の色なのかしら。しらん。これから知る。
 
 長野県に於いてはすべて土地はゆるやかかゆるやかでないかの隆起のある山や丘や丘陵であって、平らな土地などは4つの平にしかないのである。まつもといなさくぜんこうじ。
 あとは全部傾斜地である。
 
 それを思うと東北の太平洋沿岸は狭いとはいえ平らな土地がいくらかあるという点で平らなのかもしれませんね。