いっぽうで。
仕事にいって土曜日で。土曜はちょっと別格というかとくになんかあるわけでもなく比較的ラジオをきく時間があった。土曜ワイドラジオ東京も年末最終回である。外山アナの声をきくのはここくらいだ(ORELAはいい番組なんだけど時間が合わないのでなあ)。
しかしなあ。ピーコさんがゲストだったのだが、いまでもピーコさんは「だから結婚できないのよ」とか外山アナに言うのであるが、ピーコさんのようなゲイの源流みたいな人なのにどうして他人にノーマルっぽい行動を求めるのであろうか。他人の行動をどうにかすることはできないというのはゲイであることを他人からさんざんいろいろ勝手な意見を言われてきた側ならばわからんではないのではないか、それとこれとは別なのか。しらん。
他人にとやかく言われたくないというのは誰にでもあることだと思うし、家に閉じこもっていようとなんだろうと、それはどうでもいいことで、他人がどうにかできることではない。
そういう立場もあるし、老いてしなびて動けなくなっていくのも当然のことと受け止めることはできる。
なんかそれに抗うようなことをしていることが仕事になっている感もあるしそこは困惑の元ではあるのである。あくまでクライアントが本人がそれを望んでいることを探し出していっしょにやりましょうというのが本流なのはわかる、しかしそれはhiddenであってなかなか出てこないし、ましてやそれを「他人といっしょにやりましょう」とはなかなかならない。その分水嶺を越えることが。
「いいこと」を「もたらす」、しかも「外側から」なのである。
抵抗があって当たり前。
場をつくってそこに「きませんか?」と呼びかけるのはまだ自主性の発揮にゆだねることであるが。
抵抗があるのはそこがクライアントの自宅でありホームである場であるからだ。そこの主人はクライアント自身であるし。