きついことには変わりはない。
オレの感情がいかに「大きい部分」をもっているかをよく知った。オレはどんな局面であってもどうも感情が大きいのだと思う。うれしいことを大きく思う。それを支えにする。
反対から言うとうれしいことが無い場面ではまったく動機もなくやる気も根気も元気もない。
今日はうれしいことがあったがこれはまったく偶発的であって、オレは預かり知らぬ他人の気まぐれによっておこされたことなので、今後にそれ期待するのは期待はずれである。
単にテクニック的な修辞でもある。
オレはおそらく陥落寸前の城でありいまにも突き刺されそうである。
オレの上司がしきりに撤退戯言を言うのでオレはそれを受け止める役目なのかと思わざるをえない。
しょうがないことである。
オレはオレの属している小組織がいまにも崩壊しそうなのを感じている。
これは危機感以外のなにものでもないと思う。
どうして上司は「いちぬけしたい」ということをしきりにオレに言うのであろうか、オレだけに言っているのか、おそらくオレだけにだと思うのだが、それはまああれだ、年とかいろいろあるけど、
しょうがいない宿命的なものかもしれない、
オレはどうにもそろそろパンクとかしてもおかしくないと思う、
イスラム国ではなくてISなんとかのやつらのことの発表するなにかはいつも日本時間では深夜2300ごろを境にして起こっているようだが単に時差の関係なんでしょうね。