句読点を使わないと気味がわるい。
ひるめし、「我がや」にて味玉ラーメンセット’(ミニチャーシュー丼ついてます)。うまい。
先週日曜の「中華菠菜]に続いての新店行。
なんだこれ、ラーメン趣味か。そうです。
うつ的休日傾向は続いているが(他人の言葉が気になって休日もそれが脳内でリフレインしていたりとか)、なんとかしている。明るい日差し。晴れ。爽やかな空気。
テレビを見ていると「ハッピーなイメージ」にあふれているな。これはよくないな。なんか「標準の幸せと物量の定型」を示しているようで。本当はもっと世の中はバラエティに富んでおり多様性があり幅が広くて他人との比較なんてほとんど意味がないんだとオレは言いたい。
しかし、実際にオレもそうですけど、自分の頭で考えるということがすごくエネルギーを意思の力を必要とするので、ついつい簡単にその辺にある尺度に頼ってしまうのである、比較計量していまのオレのこの生活幸せ度はこのくらいなんじゃないの、と、か、ね。
テレビのなかの幸せファミリーがその偏差値50ポイントだったらたまったもんじゃない。
あれはたまたまそのようになっただけの幸せ家族だ。
オレのいってる客先なんていうなればそれからすればひでえもんだ。
三世代同居なんてごくごく一部。
老人単身。
老夫婦で老老介護。
娘だけいるけど日中独居。
家族いるけど折り合いわるくて世帯内実質別居。
オレにしてもそうだが目標をたててそこに向かって進んでいくというような生活改善欲求が薄いしないし諦めているしこの先の人生にいいことなど何も起こらないと思っているしただ生きているしずうずうしいとも言う、なにもしないくせにたなぼたをなんとなく待っている、宝くじを買って当たるのを待っている。