帰宅

わからん。
なにもかもわからんわけではなく、死んだらそれですべてが(自分という意識にとっては)消えうせるということは分かっている。つまりこれが意識の中でとらえられるものは「実体」ではないということ。存在しないということ。
 つまり。
 今感じている懊悩は、実体の無い存在であるので、煙のようなものだってこった。
 
 しかし「今」という刹那で一瞬で瞬間で現象を切り取る(微分する)と、感情も好意も悪意も嫌悪も存在する。
 
実際存在する。すべてはそこに存在している。オレはそこにいると思っている。思っているだけなので実在かどうかは存否の判断の留保。
 
 正直いってオレが思うことは能力が優れているものがその集団の管理をすべきだと思うことと、それについて、年齢が必ずしも長短を基準にすべきではないし若年であっても優れてある存在は価値を高く見積もったほうがいいのではないかということだ。
 
 逆にいうとオレのような老年低価値人間はさっさと頸を斬られて絶命したらいいんじゃないかということだ。
 
 しかし「斬ってくだせえ」も甘えだっつーんで、それも使えなくなり、八方塞がり、内部にたてこもっての暴発圧力くらいしか考えられなくなりて、
 
 今日の夜食はサラダ肉卵のハイブリッド玉葱ドレッシングぷらす醤油やポン酢のおいしいスパイシーと名付けてみる。