ひる

休日 いちおう朝食はたべた(昨日つくっておいた肉ピーマン大根にこみ)(御飯と納豆と生卵)のだが下痢しておりトイレといったりきたりである休日、もう昼 なんちゅう。なんちゅう。 
 
こないだここいらのコンビニの漫画のコーナーに吾妻ひでお先生の「カオスノート」が入荷していたのだがちょっと立ち読みしてたらどうもオレの今の状態では愉しめない感じだったので買うのをやめていた・。
 
本を読めない感じの症状だし、家にいると落ち着かないということだ。自分を落ち着かせるのは料理してるかゴミの片づけをしてるときか、PCをだらだらしているときだ。
 
しかしPCでネットにある文章を読むくらいはできるので人の日記を読んだり記事を読んだりまたツイッターで人のつぶやきを読んだりしている。悪というか、不作為というか、「すべきをしていない」「集中してのぞんでいない」「足りない」感じのことにより、また「目標がない」「なんだかその日をしのいでいければいい」ような感じのことにもより、結果として1年も5年も10年もそのまま過ぎていき気がつけば老人だ。という恐怖感を感じてみたりまた他人はどうなんだろうと思ったりしており、
そこで見る他人の日記や記事やつぶやきは、なんだろう、のんきというか、まあ外に向かってつぶやく言葉は呑気に見えるだろうて、あんまり他人に向かって「自分の傷とか痔とか性格のわるいところとかずるいところとか醜い心根」を見せたいとは思わないだろう。
だが人の悪口にもきこえるようなことを書かずにはいられない感じの人もなかにはいるのだが、直接言ってるのではなくて迂回していて、つまりそれは心の中には置いておけないものなので、毒があるので、毒で自家中毒になるよりは発散できているのは生存戦略なのだ。
オレもそういう意味で日記を日々かいておりそして先のことがわからない。どういう人間になりたいかを考える前になにをできるのか最低ラインとして生きていられるのかどうか仕事を継続できるのかどうかが日々の悩みでありそのくらい日々毎日これ大丈夫か大丈夫なのかくらいの気持ちを抱えているとこれはそりゃあストレスだろう。正しさの保証がないので「正しくない=悪」で、毎日悪を積み重ねているような気持ちになっているという罪障感。・これがたぶん認知の歪みと言う感じなのである。
 
だがせめて他人と話せなくても他人の声とか意見とか特に意味のない言葉などを聴いて聞いていないとオレの脳内でエコーするだけの内容をきいてるだけじゃオレがこわれてしまうので、せめて他人の声でありラジオでありなにかである、それを聴く、ポッドキャストもきく。