よる

今日のコンビニホットフード:Lチキバーガー。LチキバンズとLチキを買うとつくれます。レッドにすると過剰感があります(経験済み)のでレギュラーがおすすめ。仕事の合間の2分で食べた。おいし。
 
謎集会にいってかえってきた。どうせなら「担当者会議あるある」やりたい。 
 
誰かに愚痴とか駄弁が言えるのはその人を信用しているからではなく「その人にはもうどう思われようとかまわない」からだ。つまり評価が120点でもマイナス120点でもどっちでも構わないということだ。
 たとえば親はオレにとっては親であり永遠に親なので、親を悲しませるのはよくないなあと思うので、なんとか正規雇用の仕事が続くといいなあと思う(親の観点では非正規というのは人間以下なのである。まあオレはフリーターが長くてなあ。その意味で親から人間以下扱いを長くうけていたわけだが)。
 本人としては何でもいいのである。生きていれば。
 
 制度というのが「最低限を保障する」ものであることは知っているが一方で制度とは権威そのものである。
 
 そのへんがなあ。介護保険制度はマシではあるもののベターでさえもないと思うのだ、「本人の意思が最優先」という制度だからな、申し立てにより審査開始であるし、それは本人の自覚的な自発的な申し立てによってサーヴィス開始である、
 誰が知らない制度を利用開始しようとするだろうか、
 あきらかに外部からの促しなくしてサーヴィス開始にならず。拠らず。
 
 本人の意思最前線である。自発的申し立てがあるならば動くというのは制度の前提ではあるが、「自発的申し立てをすることができる正規の人格」がないとそれはできない。
 欧米的価値観の中の「市民」みたいな。
 
 日本人の大多数はそういう意味では市民ではない。自発的意思などはなく、オカミに導いてもらいたいし、自分からなにかを申したてなんかしたら村八分になるのではとおそれてしまうくらいの無知蒙昧である。曖昧模糊でもある。
 そういう人間がいったいどうして介護保険サーヴィスをうけたいのでオレに審査をよこせと自分から自らの意思によって申し立てを行うだろうか。
 
 だからといって行政による強権発動とかものものしいわ。
 
 人間社会の弱い部分について公正と公平を保ちながらかつ適切に臨機応変に弱い部分をサーヴィスによって支える機能というのは「ありえない」のである。・
 どこかを犠牲にしろ。
 
 公平性を犠牲にして偏りあってもよしとするか、
 公正性を犠牲にしてコネある人だけ重い人だけたまたまあの人だけ助かってもよしとするか、
 とにかく「全部の弱い人」は救われないなのだ。
 一部の人だけが救われる。
 
 焼肉定食ならず、弱肉強食な世界がこの現代に実際にあるのか分かりやすく映像化するとマッドマックスの最新作である。あーーー昔つとめていた古本屋は映画パンフレットも扱っていてさあ・・(以下略)