よよ 

http://shop.ichibanya.co.jp/fs/coco/c/100#
冷凍でおくってもらうとココイチのお店の味そのまま!なんだってさ。 
 
19日深夜(あけて20日AM2時〜)A&G+では松来さんの特別番組をやるそうだ。起きて聴かないと録音方法もわからんでよ。
 
ようつべ経由でホテル・トランシルヴァニア2とかみててああメイヴィスちゃんかわいいなあと思う。
 
どうしてもアダムス・ファミリーにおけるクリスティナ・リッチ嬢のような黒髪黒服の美しい少女とか好きである。
 
べつに他人から最低評価を受けるのは構わないとしても自分のたとえば自責念からは逃れられない。
毎日仕事であう人たちがいろいろ語ることを聴いていてなにを思うかといえばこの人は自分のことばかり語るんだなあとかあるいはたまにこっちに質問が来るなあとか、いろいろであるが、雑談は雑談として、なにしろいいたいことがたくさんあるが聴いてくれる人がいないのでここぞとばかりに語る人もいるしうんうんと聞いてくれる人がいないのでここぞとばかりに語る人もいる、
あとうけとめかたとしてあの時あれ以後で人生は大きくかわったという考えもあり、また他人と比較して自分がどのくらいの位置にいるのかがとても気になってそれでそればっかりになる人もいるしまたプライド面というものもちろんあるし以前の仕事がそれはそれでプロフェッショナルな人はもちろんいるし、それをできないのであれば中途半端にはしたくないという気持ちはもちろんわかるが
しかしなんだ。
医者と同じでは意味がなく診断してはならずでしかし、医療という言葉がどうしても違和感がのこるし医学的にこうしてこうしたらこうなるということばがあったとしたらそことは違うことをしないといかんのではなかろうか、多分思うことは意欲と自己効力感ではないかと思うのだが、おもうのだが、意欲とは認識の中で未来にむかう力の話ではなかろうか、オレが毎年健康診断をうけるたびに「総コレステロール値が高すぎですよ」と言われても生活主観上の生活習慣を改善しようとはしないのはたぶん信仰と思いこみによるそれは高くても大丈夫という思いこみがあることと、あとはいまさらじじいになって健康数値改善とか意味ないんじゃないのと思うことである、99まで生きたいわけじゃないし。とか、
 でもそれでも多分うちの父とかならそうは思わず細かい数値を改善しようとするだろうあの人は99まで生きたい人なので。
 
 さっきまでザ・プロフェッショナルという番組をみていてスガシカオさんが出ていてなんか突発性難聴にもなりよく生きていられるなあミュージシャン。と思ったりしながら見ていたら自分の仕事について考えるところがありつきつめてとことんまでできることをするというのは気力も意欲も必要だが実際には自分で自己評価したときの点数をつけるときの話なのかもしれないと思えてもきた、他人からの評価ではなく。つまり逃げきれないということだ。自分の眼とか。記憶とか。